それは、ある
タマザラシの話

03

 それは、ざあざあと雨が降りしきる夜のことだった。

「なあ、タマザラシよ」
「たぁ?」

 いつかと同じような呼び掛けに、タマザラシはいつかと同じようにマツブサを見上げる。――いつかと同じように、リビングのソファーに一人と一匹は仲良く並んで座っていた。
 見上げた先に目を遣って、タマザラシは『うん?』と首を傾げる。お互いが遠い過去を知る同志だと知ってからも、そうだと知る前からも幾度となく見上げてきたマツブサの表情が、いつもと違ったからだ。

「たぁ?」

 どうしたのだと問いかけるために、タマザラシはマツブサの足をぺしぺしと叩く。いつかと同じように、マツブサがタマザラシの頭を撫でる。
 意を決した顔をして、マツブサが口を開いた。

「今週末の話なんだけどな。……あいつをあの海岸線に連れて行こうと思ってんだ」

 だからよ、とマツブサが言葉を続ける。

「モンスターボールにいれてもらえ。……あいつが全てを思い出したら、オレ達はきっと、この家には戻ってこねえ。――だから、ちゃんと入っとけよ」
「…………」
「じゃねえとお前、あいつに置いてかれちまうぞ」
「…………」

 ついにこの時が来たかと、タマザラシは思った。死ぬまでずっと、このままでいることなどこの男にはできやしないと思っていたから、この日が来ることに驚きはなかった。タマザラシが驚いたのは、この男が思っていたよりも仇敵のポケモンである自分のことを気にかけていたことだが、今はそんな話はどうでもいい。
 アオギリと共に先に進むのか。それともここに留まるのか。
 答えなど決まっているようなものだったが、その道を選ぶことには躊躇いがあった。――アオギリの隣に並ぶにはあまりにも、自分が弱すぎるからだ。
 タマザラシがタマゴから孵ったときから、イヴァンは一度もタマザラシをモンスターボールにいれたことはなかった。ましてやポケモンバトルになど出したことはおろか、出そうとすることすらなかった。いうなればペットなのだ、イヴァンにとってのタマザラシは。
 もしこのままトドゼルガまで進化したとして、以前と同じような力を振るうことはできないだろう。果たしてアオギリは、こんなタマザラシのために戻ってきてくれるだろうか。――可能性は低い。より強くなる可能性のあるタマザラシを野生で見つけた方がよっぽどいいだろう。
 ましてや、タマザラシである必要もない。メガシンカと呼ばれる新たな進化系統が発見されているのだから、それに連なるポケモンを新たに手持ちに入れることができれば、彼はさらに強くなる。もしもなにか理由があってこの家に戻ってくることがあったとして、自分を連れていってくれる可能性はないに等しかった。

「……たま……」
「……行かねえのか?」

 首を横に振るタマザラシに、マツブサが目を丸くして問いかけてくる。それでも、タマザラシはモンスターボールには入らずにこの家で待つことにした。――今の自分は、あの『トドゼルガ』ではないから。
 持っているポテンシャルが、あの『トドゼルガ』と同じではないのだ。食べるものも違えば育った環境も違う。ポケモンバトルだって今世では一度もしていない。
 それなら、隣に立つ資格はないとタマザラシは思った。あの強いひとの隣には並び立てない、ましてやあのひとの前に立ち、守ることなど出来ないと思った。だから、ここで待つことにした。


 いつか、いつか、アオギリが戻ってきてくれることを信じて待つことにした。そんな日が来るはずなどないと、分かっていても。