それは、ある
タマザラシの話

02

 それは、薄暗い曇天の日のことだった。今にも降り出しそうな空模様に、イヴァンが外に干していた洗濯物をばたばたと取り込んでいる。その音を聞きながら、マツブサは二階へと上がっていた。イヴァンがタマザラシを呼んできてくれとマツブサに頼んできたからだ。
(雨の日になるとすぐ外に遊びに行くからなあ、あのちびっこ)
 外とはいっても、タマザラシが向かう先は海がよく見えるバルコニーだ。やはり海のポケモンだからか、晴れの日も雨の日も、暇さえあればそのバルコニーから海を眺めている。特に雨の日は必ずといっていいほど外に出たがるので、雨が降りそうになればイヴァンはすぐにタマザラシを家の中に入れるのだ。タマザラシがイヴァンに反抗する、数少ない場面である。
 タマザラシがいるであろう部屋の扉を開ければ、想像通りの場所にタマザラシはいた。荒れる海の音に合わせて、タマザラシの体が左右に揺れている。

「おーい。そろそろ部屋ん中戻ってこいよ、ちびっこー」

 声をかけてバルコニーに近付けば、くるりと振り返ったタマザラシが不満そうに鳴き声を上げた。

「たま! たーあっ!」
「はいはい、ちびっこ呼ばわりはお嫌かね」

 見た目はただのタマザラシだが、中身はあのトドゼルガだ。マツブサのバクーダとも互角にやり合う強者なのだから、ちびっこ呼ばわりされれば不快にも思うだろう。
 マツブサはそれが分かっていて、あえてその呼び方をする。こう呼べば、タマザラシはマツブサの元まで転がってきて足を叩きに来るからだ。今回のように、タマザラシを家の中に呼び込みたいときには重宝する手法だ。
 案の定、タマザラシがマツブサの元へと転がろうと体を丸めている。しめしめとマツブサがそれを出迎えるためにしゃがみ込めば、タマザラシがムッとした顔をした。
 そして、そのまま勢いよく突っ込んでくるかと思いきや。

「お?」

 ハッとした顔でタマザラシが動きをとめた。タマザラシは姿勢を戻し、自身のすぐ隣に目を向ける。そして、そこにあったものを小さな手でちょいちょいと引き寄せて、体毛の下に収めようとしていた。――タマザラシのもちものに、マツブサは見覚えがあった。
 それは何の変哲もない石のように見えて、その実、とある用途のために使用すれば絶大な効果を発揮する代物だ。それを、このタマザラシがもっている。
 タマザラシの意図は明白だ、この石の使い道はひとつしかないのだから。そしてその意図の意味するところを、察せないマツブサではなかった。
 技が強くなるわけでもないその石を、タマザラシは大事そうに抱えて体毛の下に隠す。

「……『トドゼルガ』」

 前世と同じ呼び方でタマザラシを呼んでやれば、タマザラシはゆっくりとマツブサの元へと転がってきた。見上げるその視線は、内に秘めた固い決意を宿していた。
 何も覚えていないあの男にさえタマザラシは、『トドゼルガ』は忠誠を誓うと決めたのだろう。それでもその全てを委ねることはできなかった。これが今の『トドゼルガ』にできる、アオギリへの最大限の忠誠だったのだ。

「それが、お前の覚悟なんだな」

 マツブサの問いに、タマザラシはこくりと頷いた。

「たぁ」
「……ちゃんと、色々考えてんのな」
「たま」
「そうか」

 お前がそう決めたんなら、オレはもう何も言わねえよ。――そう言ってマツブサは立ち上がり、バルコニーへと繋がる窓を閉めた。
 空は先ほどよりも暗く、これほど雲が厚ければ、素人でもこれからの天気を予報できるというものだ。――もうすぐ雨が降る。

 それもきっと、視界が霞むほどの大雨が。