幸せだって
笑って。
03
「美味しい!」
キリコが選んだ店の個室で、ユリは感激の声を上げた。蕩ける肉の食感、料理の味にピッタリのワイン。いつの間に予約していたのだろう、息をつかせる暇もないほどに買い物に付き合ってもらった気がするのだが。
兄のこういうスマートなところは、ユリも見習いたいと思っているところだった。
「だろう? お前も気に入ると思ったよ」
ユリの向かいの席で、キリコが笑う。彼の背後の棚には、ユリがキリコのために買ったものが詰め込まれたショップバッグが置かれていた。服に帽子、靴にネクタイ、ハンカチ、ちょっとしたアクセサリーに香水……待ち合わせ時に話していた品物は、ほとんど買ったといってよかった。
そのままの勢いで食事代まで出そうとするユリに、さすがにキリコはストップをかけた。せめて食事代や交通費代は支払わせてくれと、頼みに頼み込んでようやくもぎとった兄としての威厳であった。
「なあ、ユリ。今日はお前の誕生日なんだぞ。それなのにお前、俺の物ばっかり買って……お前の物は何も買えてないじゃないか」
「細かい話はなしよ、兄さん。私、兄さんにいっぱいプレゼントを贈るのが夢だったの。子供の頃から、私に譲ってばかりだったじゃない」
「それは俺の誕生日にでもしてくれりゃあ――」
「誕生日に限って消息不明になる人にそんなこと言われましてもねえ……?」
「あ、ハイ」
これ以上は本当にやぶ蛇だと思ったのか、キリコが話を誤魔化すようにワインを口を含んだ。ああ、その癖は変わってないのねと、ユリはくすくすと笑う。ユリもキリコと喧嘩をしたいわけではないので、そのまま誤魔化されてあげることにした。……兄なりに、家族を思ってのことなのだ。
安楽死稼業を行なう医師の家族など、人質にはもってこいである。巻き込ませたくないのだと、そう思ってくれていることくらい、ユリも分かっていた。だからこそ、そんな仕事はやめてくれと叫びたい。
兄ともう一度、昔のように一緒に暮らして、一緒に出かけたい。兄に穏やかな時間を過ごしてほしい。ただそれだけの幸せを、それだけというには兄妹にとってあまりにも大きな夢物語を、やっぱりユリは諦めきれないのだ。
「それにしても、やっぱり似合うわね、兄さん。私の目に狂いはなかったわ」
向かいの席に座る兄の姿に、ユリは満足気に笑う。今のキリコのコーディネートはまさしく完璧で、自分が今日着てきた服の雰囲気とも合っていると自負していた。兄もそう思ってくれていたのか、その口角が少し緩む。
「お前の審美眼には恐れ入るよ。あまり着ないタイプの服だったが、組み合わせ次第ではいけるんだな」
「そうよ、ファッションって奥が深いんだから」
兄に褒められ、溢れる笑みが隠せない。隠す必要もないのだけども、ちょっとすました顔だってしたい、子供扱いしないでほしい。――そんな、複雑な妹心だった。
そしてそれさえも見透かしたかのようにキリコが言う。
「小さい頃はヘビ柄のクッションが手放せなかったのに……よくここまでファッションセンスを磨けたもんだ」
「ちょっと兄さん!」
「フフッ、いいじゃないか。もう昔の話だろう?」
「今もそのヘビ柄のクッションは私の家にあるのよ!」
「えっ、何故」
「兄さんに不満を抱いたときに殴る用として置いてあるの」
「……そ、そうか……」
ボロボロになってそうだなぁ、と呟くキリコに、自覚はあるのね、とユリもワインに口をつける。――本当は、ボロボロどころか家の中のどのクッションよりも丁重に扱われており、殴るなんて以ての外の大切な、思い出のクッションだ。だが、ここはあえて誤解させておこう。妹の、ちょっとした意地悪だ。
「ところでユリ」
ユリが食べ終えたタイミングを見計らって、キリコが口を開く。
「この後はどうしたい? もう夜だ、行けるところは多くないとは思うが、最後まで付き合うぞ」
「んーとね……最後にね、二人で歩きたいの」
「行きたいところがあるのか?」
「特に目的地はないわ。兄さんと歩いてお散歩がしたいの。それで、良いところがあったらそこに行くの。なかったらそのまま歩いて、いい頃合いになったら駅に向かってそこでお別れ。……まあ、要は無計画ってことね。――ダメかしら?」
「いいや? 問題ないさ。そういう、緩やかで穏やかな時間が、現代人には必要だと思うね」
「ありがとう、兄さん!」
抱きつくことができない代わりに、ユリはわざとらしいリップ音とともに兄に対してキスを投げた。
兄は一瞬、虚をつかれた顔をして、しかしすぐにその口角を意地の悪そうににんまりと上げ、ユリよりも自然にキスを投げ返してきた。妹のユリでさえ、少し赤面してしまうくらいの。ご丁寧にウインク付きである。
「……兄さん、手慣れてるわね?」
「そういうお前は慣れてないなあ。……いや、兄としては、こういうことに慣れていてもらっても困るんだがね……」