幸せだって
笑って。
02
「兄さん!」
身だしなみをもう一度見直しつつ近くのカフェでコーヒーでも飲もうと思っていたユリは、待ち合わせ場所に30分ほど早く着いた。それにもかかわらず、キリコは既にそこにいた。意図せず待たせてしまったことにユリは焦り、自然と駆け足になる。
ユリの呼び声に、キリコは読んでいた本から顔を上げた。ぱたんと本を閉じて、走り寄ってくるユリの姿に微笑みかけるその姿は“死神”などではなく、昔からずっと見てきた“兄“だった。それに内心ほっとして、ユリは更に走る足を早める。
「ごめんなさい、待たせちゃった」
「俺が早く来すぎただけだ、気にするな」
閉じた本を肩にかけていたバッグに戻したキリコは、黒いコートなどといった怪しげな雰囲気を醸し出す服はひとつも身につけていなかった。どうしたって眼帯は、そしてその髪色は目立ってしまうものの、服装そのものは母国によくいる成人男性のそれである。
「兄さん、そんな服持ってたのね」
「さすがに妹の誕生日にあの服で来るのはな。……お前、もしかして俺がああいった服しか持ってないと思ってるんじゃないんだろうな?」
「思ってたわ、ごめんなさい」
「謝る必要はないさ。今日のために新しく買ったから、これまでは本当に持ってなかったしな」
あっけらかんと答えてみせる兄に、ユリは絶句する。そして、ああ、本当に兄はあの仕事に、安楽死稼業に命を賭けているのだと改めて理解してしまった。
意図せず顔を曇らせてしまったユリに、キリコは『やっちまった』と言わんばかりに天を仰いで、そっとユリの頭を撫でる。
「良い機会だったよ。俺が物持ちがいいのは知ってるだろ? 使えるなら新しく買う必要もないってんで、買いに行く理由がなかったんだ。それだけさ」
「……本当かしら」
「もちろん」
嘘だとすぐに分かった。いや、半分は本当だろう、兄は壊れない限りはきちんと物を大事に、長く使うから。
それでも、半分は嘘だと分かった。分かったが、それ以上は何も言わないことにした。服を買うか買わないか、そんなところまで制限するつもりはなかった。……それは安楽死稼業とは、必ずしも結びつかないのだから。
「そう。……いい服ね、兄さん」
本心だった。だからユリが浮かべる笑顔もいつものもので、だからキリコもそれに合わせて笑った。――兄としての顔だった。
「お洒落なお前に言われると、本当にそんな気がしてくるな。随分とおめかししたじゃないか」
「でしょう? これまでで一番のお洒落なんだから」
ふふん、と自慢げにその場で一回転してみせたユリに、キリコは拍手を送る。兄という視点を排除しても、今日のユリの姿は美しかった。
「俺が浮いちまってるなあ、こりゃ」
「そんなことないわよ」
「いーや、あるね。さすがに俺がこの姿じゃあ、今のお前には釣り合わんだろ」
「……兄さん、もしかして、もしかしてだけどね、もしかして――」
ごくりと生唾を飲み込んで、ユリはゆっくりと兄に問いかけた。
「……一緒に服を、買いに行ってくれたりしちゃうの?」
「しちゃうぞ」
「本当に!? 兄さんも服を買うの!?」
「今のお前の隣を歩いても見劣らん程度には見繕うつもりだよ」
ユリは子供のように飛び上がって喜んだ。――まさか、兄の服を選べるだなんて! いいえ、いいえそこじゃないわユリ、もちろんそこも大事なんだけど……兄が、買い物に乗り気だなんて!
今日のスケジュールに、『ショッピングをする』という予定はあらかじめ入れていた。しかしそれはあくまでも、誕生日を迎えたユリ自身の物を買うためで、物欲の薄い兄は妹のそれに渋々付き合う……そんな流れになると思っていた。しかし、そうはならなかったのだ。
目を輝かせるユリに対して、キリコは愉快そうに笑う。
「くく……もちろん、お前が良ければ、の話だがね」
「良いわ、良いに決まってるわ!」
ユリはキリコの両手を、逃がさないと言わんばかりにがっちりと掴んだ。
「兄さんにぴったりの服を選んであげる! 服だけじゃないわ、靴だってハンカチだってアクセサリーだって香水だって、なんだって選ぶし買ってあげるわ!」
「おいおい、買うのはおかしいだろう。今日はお前の誕生日なんだから、むしろ俺がお前のために払うべきなんだよ」
「嫌よ、私が選んで私が買うわ! 今日は私の誕生日なのよ、私の言うことは絶対よ! 分かった? 兄さん!」
「……俺は藪をつついたかね……」
キリコが大いに頭を抱えた。悩みに悩むその姿に、ユリは内心、ふふふと笑う。ユリが一度言い出したら聞かないことを、一番よく知っているのは兄なのだ。
「……分かったよ、物を与えることが喜びだって人間もいる。そういう奴にはそういう祝い方もあろうさ」
「ありがとう、兄さん!」
「ただ、店は決めさせろよ?」
「もちろん! 兄さんが決めたお店で、絶対に兄さんに似合うものを選んでみせるわ。……だから、おかしな店を選ぶのだけはやめてちょうだいね」
「それは約束しよう。元はと言えば、今のお前に釣り合いたいがための買い物だ。……人生で一番の気合を入れて、店を選んでやるさ」