さよならを待つ屍

03

 綺麗な墓だったと、ブラック・ジャックはあの日のことを思い出す。
 あの日は朝から長いこと雪が降っていたはずだが、ブラック・ジャックがキリコの墓を訪れたとき、墓の上に積もる雪は薄かった。ユリが一日に何度も墓を訪れ、綺麗にしているのだろうということが見てとれた。花が供えられていなかったのは、雪が強くなってくるに伴い、彼女が撤去したからだろう。雪が止めば、きっとまた彼女は花を供えに行くにちがいない。
 ブラック・ジャックは神を信じていない。彼に祈るべき神など存在しない。だが、墓前で祈るとはそういうことではないのだということくらい分かっている。祈り方などどうでもいいのだ。死者を悼む心さえあるのなら、それで。
 だからブラック・ジャックは、ジョルジュ家の宗教に則った祈り方をするユリの隣で、いつもの通りに手を合わせた。手を合わせている間、色んな言葉がブラック・ジャックの脳裏を過ぎったが、最後に残った言葉はひとつだけだった。――おやすみ。
 生き抜いたのだと思った。彼の信じる道を、彼はたしかに、生き抜いたのだ。
 たとえ医者としての在り方は異なれど、その生き方を認めることこそできずとも――たしかに患者を“救い”続けたこの男を、嫌うことも、憎むこともできなかった。……願わくば、その眠りが安らかならんことを。
 そう言ったなら、そう願ったなら、キリコは何と返してくるだろう。妹の言うように、皮肉が機関銃のように飛び出してくるに違いない。……そしてそのあと、きっと一言、何かを言う。彼の本音は、いつもその最後の一言に含まれていて、しかしもう、その言葉は聞けないのだ。

「あなたは、これからどうするおつもりですか」

 長い墓参りが終わり、寒さに震えるユリに自身の着ていたコートを着せてやりながら、ブラック・ジャックはユリに問いかけた。

「キリコの遺言は、果たされたとお見受けしますが」
「……もう少し、この屋敷で暮らすつもりです。家族の思い出とともに。……その先のことは、きちんと考えてありますから、ご心配なく」

 そう言って微笑むユリの顔は、決して未来を悲観するものではなく、前を向こうとする者がする顔だった。
 そうであるならば、ブラック・ジャックにできることはない。もし、ひとり遺された彼女が良からぬことを――たとえば、自死などを――考えているようであれば止めなければならないと彼は思っていたのだが、やはり彼女は強かった。ともすれば兄のキリコよりも、ずっと。
 その日の夜は、その屋敷に泊まった。この雪で飛行機が止まっているからとユリに止められたのもあるし、ブラック・ジャック自身、許されるのならばこの屋敷に泊まりたいと思っていた。

「兄が使っていた部屋です」

 そう言って部屋に案内されたとき、ブラック・ジャックは自身の後頭部をかいた。――あぁ、ばれてらぁ。
 この屋敷に泊まりたいと思った理由に、ブラック・ジャックの秘めた想いに、彼女は気付いている。キリコの妹である彼女に気付かれている。
 それが少し気恥ずかしく、しかしその部屋に泊まることは願ってもないことだったので、ブラック・ジャックはしばし案内された部屋の前で頭をかいた後、ユリに対して小さく礼をして、部屋の中へと入った。
 埃ひとつなく掃除された、綺麗な部屋だった。ブラック・ジャックが訪問する日なんて彼女には分からなかっただろうから、きっと毎日、墓とともに、この部屋も掃除しているのだ。――お前さん、本当に愛されてるんだな。
 部屋の中央に置かれていたソファーに座り、ブラック・ジャックは懐に収めていた桜色の手紙を取りだした。ユリが気を利かせたのか、テーブルの上には既にペーパーナイフが置かれていて、彼はそれを使って手紙を読もうと思った。
 そして、すぐにやめた。
 あの岬にある自宅で読もうと、そう思ったからだ。――いつだって、キリコからの手紙を読むのは、あの家だった。波の音を聴きながら、彼の手紙を読んでいた。これまでのその流れに、倣おうと思った。
 入浴もそこそこに、ブラック・ジャックはベッドに潜り込んだ。
 キリコの夢は、見なかった。