一番星は
静かに眠る
03
扉が閉まった後の静寂は、テスラにとって何よりも重い圧力となった。
最高管理委員会との会議の議題が、『自身の体調管理』の議論にすり替わったこと。そして、イワンの監視体制まで敷かれたこと。すべてが、秘書であるメイによる周到な計画だ。
局長証は万能ではない。その言葉が、今ほど重く響いたことはないだろう。
テスラは重い身体を椅子から起こし、メイが言った通り、デスクの端に視線を向けた。そこには、市販の風邪薬の箱と、ミネラルウォーターのペットボトルが置かれている。冷風機はまだ生ぬるい風を送り続けていたが、身体の熱は一向に引く気配がない。
彼は薬を手に取り、箱に書かれた効能書きを眺めた。一粒で眠気を誘う成分が含まれている。
メイは、自分を眠らせることを目的としている。そう自覚しながらも、テスラはその薬の封を開け、一粒取り出した。抵抗する気力も、もう残されていなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
廊下に出た瞬間、メイはすっと息を吸い込んだ。室内の冷風機とは違い、廊下の空気は管理された温度であるにも関わらず、ひどく冷たく感じた。
いつもと変わらぬ速度で歩く彼女の足音はやはり正確で、迷いがない。テスラが休息を受け入れたのは彼女の勝利であり、同時に『超管局の安全確保』という、職務遂行の始まりを意味していた。
メインフロアへと繋がる廊下を進むと、ひときわ重厚な扉が現れる。それは局長室のさらに上階にある、テスラ専用の機密資料保管室へと続く螺旋階段の入り口だった。セキュリティレベルが高すぎるため、たとえ上層部のエージェントであっても、その部屋に向かう際には必ずエレベーターを使用させている。その部屋にアクセスした記録が、必ず残るように。
つまりこの階段を登るのは、テスラ自身か、その秘書であるメイだけだ。
誰も登らない階段へと繋がる重い扉の前を通過する時、メイは一瞬だけ足を緩めた。扉の奥にある、さらに孤独で重い任務を連想させる場所。彼女が向かう先はそこではないが、超管局の重圧が、今や彼女の足元から始まっていることを感じさせるには十分だった。
廊下の角を曲がったところで、メイは制服の内ポケットから小型の通信端末を取り出した。端末は局長専用回線に接続されており、最高管理委員会や内務組といった、限られた者との連絡にしか使われない。
ディスプレイに表示された名前を選択し、彼女は短く、冷徹な声で指示を出した。
「《フェードアウト》を承認。コード:レベル・スリーを起動。繰り返す、《フェードアウト》を承認――」
《フェードアウト》。
テスラが風邪で休養に入ったという事実そのものを、外部だけでなく、重要性の低い部署にも流さない。彼の不在を外部には認知させず、重要度の低い会議や連絡はメイが代行し、どうしても必要なものは『局長の指示』として、メイが処理する。
テスラの不在は、それだけで超管局の権力図を大きく変えかねない。故に、それを外に知らせることは得策ではないとして考案されたのが、この作戦コードだった。
端末の向こうから、承知したという無機質な返事が届く。続けて、メイは指示を下す。
「イワンの動きは引き続き監視。特に、任務とは関係のない不審な接触があった場合は、速やかに私に報告を」
その間、彼女は一歩も立ち止まらず、歩き続けた。テスラが一時的な眠りについた今、超管局の均衡を保つ重圧は全て、彼女の双肩にかかっている。
それは、バインダーを持つよりも遥かに重いものだったが、歩み続けるメイの背筋は、微塵も揺るがなかった。