かくして
海は始まった。
03
(私は何をしているんだ)
白熱するバトルとは裏腹に、アオギリの思考は冷静そのものだ。そのものであるはずだ。
(適当にいなして負けておけばいいものを)
バクーダから放たれた炎がトドゼルガに直撃する。その衝撃でトドゼルガの体が大きく揺らいだが、倒れることなく持ちこたえた。返す一手を繰り出すべく、トドゼルガが体勢を整える。
「“れいとうビーム”」
アオギリの命令により放たれた技は、バクーダが新たに繰り出した炎と衝突し、弾け飛ぶ。衝撃波で砂が空中に散らばり、アオギリの視界を遮った。思わず顔を腕で覆ったが、その視線はあの赤い男から外れない。外す余裕などあるはずもない。
(この男、――強い)
意図せず始まったポケモンバトルだ。ほどよく戦い、勝たせることで相手を満足させてさっさとこの場から立ち去ろうと、最初こそアオギリはそう思っていた。敗北はアオギリが一等嫌うものだが、目的達成のためなら厭わない。……まあ、そもそも敗北を前提とした作戦など、アオギリが立てることはないのだが。
それが今はどうだ。いったいどれだけの時間、自分達は戦い続けている。手を抜くどころか、握りしめられたアオギリの手には既に、自身の爪で血が滲んでいる始末だ。
「バクーダ、“オーバーヒート”だ!」
「迎え撃ちなさいトドゼルガ、“ぜったいれいど”!」
いつ終わるともしれなかったバトルは、とうとう最終局面まできていた。ぶつかりあう氷と炎、勝ったのは氷だった。
しかし、“ぜったいれいど”の命中率は決して高くない。そのうえバクーダの炎により冷気の大半は霧散しわずかに軌道が逸らされたことで、トドゼルガの放った技の影響は堤防の一部を、そしてバクーダの足元を凍りつかせるにとどまった。――好機だ。
「溶かせ!」
「させません、トドゼルガ!」
自身の動きを封じる氷を溶かそうと、バクーダが下を向き氷めがけて炎を放とうとする。そうはさせまいとトドゼルガが再び“れいとうビーム”を撃とうとしたが、バクーダの行動の方が一瞬早かった。超高温の炎と超低温の氷が間近でぶつかり合い、爆発による衝撃波で視界が再度砂で覆われる。砂埃のなか、二匹のポケモンが争う音が響いていた。相手からの攻撃指令もないことから、両者とも、視界が遮られ状況が判断できない状態にあることが分かる。
次第に海風により砂が払われ、砂埃の中から二匹のポケモンの姿が浮かび上がってきた。続く攻撃に備え次の指示を出そうとしたアオギリだったが、すぐにその口が閉ざされる。
倒れる一匹と、満身創痍ながらも立っている一匹。――勝敗は決した。
(……負けたか)
トドゼルガをモンスターボールに戻し、アオギリは赤髪の男と向き合った。最初こそ相手を勝たせておこうと思いはしたが、これはその結果ではない。手を抜くことなどできなかった、正真正銘の敗北だった。――男の目に惑わされたと、アオギリは誰に言うでもなく言い訳をする。
戦いのさなか、手を抜こうとする度にアオギリを射抜いた男の視線が、アオギリの脳裏から離れない。『その程度か』と、『もっとやれるだろう』と睨めつける赤い瞳から、目が逸らせなかった。ぎらつく瞳に、その男の本性を見た気がした。
それに惑わされこの場に留められ、あげく本気まで引き出されてしまった時点で、たとえ勝負に勝っていたとしてもアオギリの負けだった。……なにが冷静、そんなもの欠片もなかったではないか。
「やっぱり強ぇじゃねえか!」
モンスターボールにバクーダを戻した男が、笑いながらアオギリに近付いてくる。
「なにが一介のトレーナーだよ、謙遜もやりすぎると意味ねえぞ」
「……とどめは」
「ん?」
「とどめはささないのですか」
男と戦い、アオギリは確信した。……この男、明らかに表の人間ではない。
彼の戦い方は、表では決して賞賛はされないであろう荒々しさと、冷徹ともいえる鋭い戦略のもと成り立つものだった。これほどの男が、これだけ目立つ様相を持ちながらもアオギリの情報網に引っかからないとなれば、まず間違いなく彼の活動領域は裏の世界だろう。アオギリをしてそう言わしめるだけの強さを持つ男だった。――いったい何者だ。
敵意はない、殺意もない。本当にただ力比べをしたかっただけなのか。
試すように問いかけたアオギリの言葉に、男は弾かれたように笑いだす。
「はははっ! そんなつまんねえことするかよ!」
男はそう言って、先ほどとは別のモンスターボールを取り出した。その仕草に警戒するアオギリをよそ目に、男はぽんと新たなポケモンを繰り出す。大きく翼を広げ、男の上空で羽ばたくオオスバメが男の肩を掴んでいる。
「楽しいことは最後までとっとかなきゃな」
男が自身の肩を掴むオオスバメの爪を二度叩く。それに答えるようにオオスバメはひと鳴きして、翼を一際大きく広げた。ぶわりと風が舞ったかと思えば、男の体ははるか上空まで浮かび上がっていた。
「また会おうぜ!」
「……機会があればね」
「あるさ。――絶対またどこかで会うことになるぜ、オレたちは」
「また勘とやらですか?」
一体どこにそんな自信があるのだと、呆れた顔をして問いかけるアオギリに、赤い男は太陽を背にして不敵に笑った。
「オレの勘はよく当たんのさ!」
そう言って飛び去っていく赤い男の姿が太陽と重なり、アオギリは目を細めた。その眩しさに何度か瞬きをしているうちに遠く、小さくなっていく男の姿を目で追いながら、アオギリは男の言葉を思い返す。
(『またどこかで会うことになる』……か)
男の台詞には当然、根拠などない。そしてこのホウエンの大地は広大だ、偶然すれ違う確率など無いに等しい。
だが、アオギリはそうは思わなかった。
「……奇遇ですね」
呟くアオギリの視線の先に、男の姿はない。
しかし確かに、アオギリはあの男を見据えていた。……その強さが、その姿が、アオギリの眼に焼き付いている。
アオギリは確信していた。あの男とは、また出会うことになる。そしてそれは、そう遠くない未来だと。
何故確信できるのか。赤い男が言うような、根拠のない勘とやらか? ――否。
(あの男を探し出すのは骨が折れそうだ)
単純な話だ。こちらから探しに行けばいいだけなのだから。……あのような存在を野放しにしていれば、いつか必ず、アオギリの計画の邪魔になる。
邪魔になるだけならまだいい。そのような存在はこれまで通り排除するだけの話だ。
では、あの男は排除することができるか。
排除できる程度の強さであったか。
(……やるべきことが増えてしまったな)
アクア団の拠点作りに、アクア団の構成員の勧誘、そして表の顔である自然保護団体の正式な設立。それに加えてあの男の捜索まで同時に行わなければならないとは、アオギリにとって予定外もいいところである。
それを不愉快に思わなかった時点で、アオギリは気付くべきだったのだ。己が既に――あの赤い男に、とらわれていることを。
かくして海は始まった。