願わくば、
 もう一度。

01

「……許してくれとは言いません」

 最初に口を開いたのはイズミだった。

「あのとき、貴方を見捨てたのは紛れもない事実です。あのままいけば貴方が海に飲まれてしまうかもしれないと、あのときの私は分かっていました。長く海で活動していたのですからそれくらい分かりました、それでも私は貴方を助けなかった。……アクア団の目的のためではありません、もしそうであるならば、私は貴方を助けるべきだった。少しでも頭数の必要な作戦だったのです、優秀な幹部を見捨てるなんて愚かにも程がある。……分かっていました。それでも私は貴方を見捨てた」

 まるで教会の告解室で懺悔でもしているかのように、イズミは語る。俯くその顔は隣に座るウシオからは窺い知ることはできないが、その声色と震える肩を見れば、自ずと彼女の表情も分かるというもの。

「どんな謗りも受け入れます。……私は、私のためだけに、貴方を見殺しにしようとしたのです」

 そしてイズミは口を閉じた。ぐっと頭を下げ、彼女はただその時を待つ。言うべきこと、伝えたかったことは全て伝えた。あとは、ウシオからの断罪を待つのみだ。
 二人の間に流れるのは重苦しい沈黙と、寄せては返すさざなみの音だけだった。穏やかに波打つそれが砂浜を抉り、また海原へと戻っていく。すぐ側から聞こえてくる音に、イズミは目を閉じた。……あの日、あの海は、砂浜どころが大地さえ抉りとらんとしていた。志を共に、苦楽を共にした仲間をそこに置き去りにして、自分はそこから逃げたのだ。
 どれほどの時間が経ったのか。水の中で溺れているかのような息苦しさにイズミが小さく息を吐いたときだ。

「……顔をあげてください、イズミさん」

 頭上から降り注ぐウシオの言葉に、イズミは力なく首を横に振る。しかしウシオは同じ言葉を繰り返した。それでも肩を震わせるまま動かない彼女に、ウシオは口を開く。

「私は怒っていませんよ。あれは仕方のないことですから」
「……え」

 イズミは勢いよく顔をあげる。そして目の前にいるウシオの顔を、目を、彼女は涙が浮かぶ瞳でじっと見つめた。
 ウシオの本心を見透かさんとするその様子に、彼は困ったように笑った。

「あの場面で一番避けなければならなかった事態は、SSS全員が死亡することでした。もしそうなれば、総帥(リーダー)アオギリの命令を遂行できる者がいなくなりますからね。……だから、いいんです、イズミさん。貴方の行動は最善ではなかったかもしれませんが、アクア団の一員として責められるものではありませんよ」
「…………! 違う、違いますウシオさん、私は貴方に、私個人として謝――」
「いいんです、イズミさん」

 イズミの言葉を遮り、ウシオは言葉を続ける。

「アクア団の一員として間違ったことなんて何もしていないのに、どうして貴方を責められるでしょうか。……お疲れ様でした、イズミさん。アクア団の理想を叶えるため、最後まで戦い続けた、戦い続けることのできた貴方は立派でした」

 そう言って、ウシオは穏やかに笑う。アクア団として様々な任務をこなしていくなかで、幾度となく見てきた顔だった。任務を達成し、お互いを労い合うとき、彼はいつも穏やかに笑っていた。『お疲れ様でした、イズミさん』と笑いながら飲み物を手渡してくれた。
 彼の言葉に、込められた思いに偽りがあるようには見えなかった。だからこそイズミは分かってしまった。これが、ウシオからの明確な拒絶であり――優しさであると。

「……あ」

 ぽろ、とイズミの頬を止まったはずの涙が伝う。――私は、イズミという一人の人間として、貴方に謝りたかった。アクア団の一員としてではなく、ただのイズミとして、貴方に謝りたかったのに。
 分かっていたはずじゃないか。ウシオから拒絶される夢を、今まで何度見てきた? その度に飛び起き、現実ではないことに安堵してきた悪夢がとうとう現実になっただけだ。
 止まらない涙に、イズミは自身に失望した。許してくれとは言わないと、のたまっておいてこの体たらくだ。結局、自分はウシオに許されたかったのだ。
 それでも、泣いている場合ではなかった。そして泣いていい立場でもなかった。イズミは俯き、溢れる涙を服の袖口で拭う。そして何度か深呼吸をして、呼吸を整えた彼女は隣に座るウシオを見た。

「……ありがとうございます、ウシオさん。貴方が生きていてくれて、本当に良かった」

 赤くなっているであろう目元を前髪で隠しながら、イズミは笑った。
 今のイズミにできることは、ウシオの言葉を否定しないことだった。彼がアクア団の一員としての立場からイズミを許そうとしている気持ちを、受け止めること。
 本来なら一も二もなく拒絶されて然るべきなのだ。それでもウシオはイズミを許そうとしている。――許したいと、彼は思ってくれている。
 きっと彼の中にも葛藤はあったはずだ。そして今もあるはずだ。アクア団の一員としての立場からしか言葉を紡がなかったのは、きっとイズミのことを許しきれない気持ちがあるからだ。
 アクア団の一員としてともに活動してきた中で、ウシオが善人でも聖人でもないことをイズミは知っている。だからあのとき、自身を見捨てたイズミのことを嫌ったとしても、責めたてたとしてもおかしくない。
 けれどイズミは、ウシオが優しい人間であることも知っていた。……赤い目のまま笑いかけるイズミに対して、ウシオは泣きそうな顔をしている。まるで自分が一番悪いのだとでもいうように。イズミを許せない自分が、許せないのだとでもいうように。
 そんな風に思う必要なんてないのに、しかし彼はそう思ってしまう。それを止めてくれと、彼に強制することなどできない。今のイズミにできることは、彼の意思を尊重することだけだ。
 だからイズミは笑うのだ。貴方が許そうと思ってくれた、その気持ちは確かに届いたのだと、彼に示すために。