世界の終わりを
信じた馬鹿
02
“鳩を連れた白い男”が立ち去って、十分ほどが経った頃だろうか。
門番の背後から、おそるおそるといった足取りで近付いてくる者がいた。
「――アイツ、どっか行った?」
その足取りに違わぬ声色で門番に問いかけたその男は、まさにあの“鳩の男”が探している人物だった。
「あァ、行ったぞ。あの男で間違いないか?」
「ない。あれで合ってる」
そう答える男の顔はカボチャの被り物のせいで門番からは見えないが、声からして強ばっていることは容易に想像できた。
「まさか、本当に探しにきやがるとは……用心しといてよかったぜ」
男は門番の横を通り過ぎ、先ほど“鳩の男”が立っていた場所で立ち止まって、不安そうにきょろきょろと辺りを見渡す。
そして、勢いよく門番の方へ振り返った。
「おい、門番! 本当におれの姿は見えてなかったんだろうな!」
「神に誓って」
「ならよし!」
ふう、と安堵の息を漏らす男に対し、門番は苦笑する。――どれだけ会いたくなかったんだ、お前。
門番は、この男と二つの“約束”をしていた。
ひとつは『“鳩を連れた白い男”におれの居場所を教えるな』。
そしてもうひとつは、『もしもその男と思しき人間が現れたら、そこにおれも飛ばしてくれ。ただし、そのときにおれの姿は奴に見せるな』。
だから“鳩の男”がここで門番と話していたとき、彼の尋ね人もそこにいたのだ。……これは余談だが、“鳩の男”が恐ろしい殺気を振りまいていたとき、尋ね人はきちんと腰を抜かしていた。
「絶ッ対にアイツをおれに近付けるなよ! やっとアイツから離れられたんだからな!」
「そんなに彼と一緒にいたくないのか?」
「そりゃそうだろ、誰が死んでまでアイツと一緒にいるもんかよ!」
このまま逃げきってやる……! そう息巻く男に、門番は首を傾げる。
「それにしても、よくあの男がお前を探そうとすると分かったな? 死してなお追いかけてくる人間なんて、そうそう思いつくものでもないぞ。……あァ、恋人や夫婦は別だが。もしやお前たち、そういう仲だったりするのか?」
「しねェよ! 気色の悪いことを言うな! ただのリスク管理だ、アイツに限って警戒しすぎるってことはねェ!」
現に来たろう、聞いてきたろう!
そう喚く男の持つランタンの灯が青く、大げさなほどに揺らめいている。よほど怯えているのだろう。本来はあたたかなオレンジ色をしているはずの魂の灯が、その色を青く変えるほどだから。
だが、門番は気付いていた。――その青色のなかに、わずかながら、別の色が含まれていることに。
「怖くないのか」
「あァ? アイツのことなら、そりゃ怖いに決まっ――」
「いいや、この暗闇が」
「―――」
「独りだぞ。――ずっと」
門番の言葉に、喚いていた男はぴたりと動きをとめた。口を閉じ、そっと見渡す周囲の景色は、黒一色。門番がここを立ち去れば、明かりは手に持つランタンひとつばかり。正真正銘、男は一人になってしまうだろう。
この暗闇に、たった一人。
行く宛てもなく、いつ開くかも分からない黄泉の門が開かれるその日まで――ただ一人、彷徨い続ける。
ただ彼の行く先を、魂のランタンが照らし出すだけの世界を。
「…………」
男の持つランタンの灯が、静かに揺れた。青色は先ほどよりもさらに濃くなり、その揺らめきはさらに大きくなる。ランタンの灯に向けられた男の瞳も、同じように揺れていた。彼の抱いた『不安』や『恐怖』といった感情が、そうさせているのだろう。
そして、彼が隠し持つ『別の色』もまた、その色を濃くしていた。その色に名を付けるなら――『期待』といったところか。
(素直じゃない奴め)
目の前の男に気取られないように、小さく門番は笑う。――どれだけ恐怖しようと姿を隠そうと、結局は“鳩の男”がこの暗闇から己を見つけだしてくれることを『期待』するのなら、最初から一緒にいればいいのに。長年、門番として様々な人間を見てきたが、どうしてこうも人間というものは見ていて飽きないのだろう。
約束は守ったのだ。もう少し、目の前の男の魂の色を読み取って彼をからかったとしても罰は当たらないだろうと、門番はランタンの灯に視線を向けて目を眇めた。
まさに、そのときのことだった。
「――?」
はるか遠くからこちらに向かって近付いてくる気配に、門番は気が付いた。
それはとんでもない速さでこちらに向かっている。一般的な人間が出すような速さではないが、最近の人間のなかには自分の足の力だけで空を飛んだり壁を切り裂いたりする者もいるらしいという話は冥界にも届いている。まァ、そんな脚力があればこれくらいの速さは出せるのかもしれない。それにしたって速すぎる気もするが。
その気配は門番の真正面、青いランタンを持つ男からみて背後にあたる方向からこちらに迫っていた。男はまだ、背後から迫り来る気配に気付いていないようである。
魂の状態になったからといって、その人間の性格が変わるわけではない。生前に攻撃的だった者は、死後も攻撃的なままである。
向かってくる存在がそういった存在である可能性もあった。もしもここで目の前の男の魂を消滅させてしまうようなことがあれば、彷徨える魂を無事に黄泉の国まで送り届ける役目を持つ門番の名折れである。
門番は、迫り来る魂の色を観察するために意識を集中させた。――そして、わずかに左右の口角を吊り上げた。
「待ち人来たれり――か」
「は?」
門番の呟きに、男が怪訝な声をあげる。門番は不審がられていることに気付きながらも、浮かぶ笑みを消すことができなかった。
念のためにと、門番は観察を継続する。観察して、まず最初に見えたのは『怒り』だった。次に見えたのは『疑問』。
そしてその二つの色のすぐ側に存在している、小さなランタンに収められている魂の色は『困惑』だった。おおかた、突然怒りだしたご主人様の様子に戸惑っているのだろう。
あまりにも感情が強すぎるのか、その心はランタンさえ飛び出して、その声を門番へと届ける。――『何故、おれから逃げるのか』。
怒りと疑問が混ざり合うその声が聞こえるのは、生きとし生けるものすべての魂を見てきた門番だけである。
そんな彼だから、見えてしまった。
遠く遠く、はるか遠くから迫る魂の灯に、ほんのわずか。
門番がよくよく意識を集中させて、ようやく見つけられたその色は――『安堵』。
(良かったなァ、お前)
目の前の男に対しても、迫り来る気配に対しても、門番はそう思った。
目の前の男の『期待』通りに、“鳩の男”はここに来る。
“鳩の男”は、尋ね人を見つけて『安堵』する。
何故“鳩の男”が、ここに尋ね人がいることに気付いたのか――それを言葉にするのは、野暮というものだ。
あァ、ハッピーエンドじゃないか。
「良かったなァ、お前」
「……は?」
門番が思ったことをそのまま口にすれば、目の前の男の声にはとうとう怒りが滲み始めた。真っ青だったランタンの灯が大きく揺らめき、そこに赤色が混じり始める。
だが、門番は知っているのだ。“鳩の男”がここに来れば、その赤色はすぐに消えうせることを。また真っ青になって――そして、秘された『期待』の色が、きっと、別の色に変わるであろうことを。
迫り来る灯はだんだんと大きくなっていく。肉眼ではほとんど見えない距離だが、彼の抑えきれていない感情がビシビシと門番を引っ叩く。生前、これほど強い想いを抱く相手に執着されていたともなれば、たしかに逃げたいと思うこともあるかもしれない。
しかし、これまで数多の人間を見てきた門番には分かる。こういうものは往々にして、逃げきれないものなのだ。
なァ、紫色のお前。
――厄介な男に、憑かれたなァ。
世界の終わりを信じた馬鹿