死後は地獄で
死を希う
エピローグ
「戻れ、オオスバメ」
マツブサが、両手に持ったモンスターボールにオオスバメを戻す。あわや列車を逃しかけた二人を駅まで連れてきた立役者だ。
「時刻表とはなんだったのか」
「さすがにあれだけ早く出発すんのはオレも見たことねえよ」
列車を逃してはたまらないと、二人は足早に券売機へと向かい乗車券を購入する。そしてそれを駅員に提示して駅の構内へと入り、二人は列車が来るのを人気のないプラットホームで待っていた。今度こそ間に合ったと思っていいだろう、さすがに電光掲示板は嘘をつかないはずである。
日陰とはいえ外にあるプラットホームは暑く、また冷房の効いた待合室もないようだ。マツブサは自身の服の襟元を、アオギリは扇子をぱたぱたと動かして涼を取っていた。
そして乱れていた息も整い始めた頃、マツブサが少し離れたところにある売店を指さした。
「そこにあるぜ、御守り」
「よりにもよって売店に……御利益もへったくれもありませんね」
「唯一の名物なもんで」
「買ってほしいんですか?」
「そりゃどっちの意味だよ。ちなみにオレはいらねえぞ」
「私が買えば貴方は喜ぶんですか、と聞いてます」
「は? いや別に。あ、やっぱりお前が御守り買うって行動が面白いから買ってくれ」
「では買いません」
「コイツ……」
マツブサがジト目でアオギリを見る。アオギリは気付かぬふりをして、読みもしない向かいのホームの看板を眺めることにした。
それからしばらくして、二人の乗る列車が駅へと到着した。列車の中へと入り、クロスシートの窓側にマツブサが、通路側にアオギリが座る。車内には二人しか乗っておらず、窓からプラットホームを確認してもそこに誰かが並んでいる様子はない。このままいけば、この車両はアオギリとマツブサだけを乗せて出発することになるだろう。
「酒飲みてえなあ、買えばよかったか」
「買ったところで私が捨てるので意味ありませんよ」
「お前の分も買ってやるのに」
「…………」
「なにちょっと揺らいでんだよ」
「……やはり暑いので、休みの日だし別にいいかと」
「頭茹だってんなぁ」
そして、出発を告げる汽笛の音がプラットホームに鳴り響く。扉が閉まり、二人を乗せた列車は大きく揺れて動きだした。遠ざかっていく駅の姿は、窓際に座るマツブサには見えたかもしれない。リクライニングを倒して伸びをしている彼が、それを気にする素振りはなかったが。
やがて駅の姿も見えなくなり、列車がいくつものトンネルを潜り抜けた頃。アオギリは、呑気に欠伸をしているマツブサを肘で小突いた。
「なんだよ」
「忘れたとは言いませんよね。話の続きをどうぞ」
「あー、はいはい。しつこいねえ、お前さんも」
軽く倒した座席に寝転がったまま、マツブサは口を開く。
「オレも詳しいわけじゃねえけどよ。あの村の奴はみんな、死んだらあの黒い影になるらしい」
「……地縛霊になる、と。あの村の人間だけですか?」
「ああ」
「あの村で死んでいなくても?」
「ああ。生まれたんならどこで死んでも例外はないんだとさ」
「……本当に信じているんですか、あの影が村の人間だと?」
「信じるしかねえよ。オレのおふくろもあの中に居たしな」
「……それは、昨日のことですか?」
昨晩の、あの外の光さえ遮るほどに群がっていた黒い影の中から母親を見つけたというのか。まさかそんなはずは、だがあの場所で生まれ育ったのなら分かるのかもしれない。
しかし、さすがにそういうことではなかったらしい。マツブサは苦笑しながら首を横に振った。
「いや、さすがにあの中から探すのは無理。あそこにいんのは間違いないだろうが、姿を見たことあんのはおふくろが死んだ日からしばらくの間だけだ。最初っからあんな黒い姿なわけじゃねえんだよ、死んでしばらくはちゃんと人の姿で出てくる。障子越しにはなるが話もできるしな。だから分かる。……まあ、別の何かに化けられてたら分かんねえけど」
「…………」
「そしていつか、あの黒いバケモンになる。四十九日、だったか? あれを境に姿が変わる。昨日見たとおり、ああなっちまったら言葉も通じねえ」
「――なるほど。墓参りというのは、あながち嘘でもなかったというわけですか」
「ま、そうなるな」
「……何故そんなことが、と聞いても分からないのでしょうね」
「おう。なーんにも分かんねえ」
マツブサはあっけらかんと答える。
「一応、オレも調べられるもんは全部調べたんだぜ。あの盛り塩、近くの寺が作ってるやつでな。その寺に話聞きに行ったし、村に残ってる本も全部読んだ。馬鹿みてえな伝承も噂話も調べたさ。それでも分からなかった、もうお手上げだ」
「本当に、例外はなかったんですか」
「それも分からねえ、なーんにも分からねえ。結局、残ってたのは『死んだらあの黒い影になる』って話だけさ。例外があったかもしれないし、なかったかもしれない。ただ、あそこで暮らしてたんじゃ間違いなく“あれ”になっちまう。……だからあの村を出たんだ、そしたらなんとかなるかもしれねえってな」
ガキの浅知恵さ、とマツブサは呆れたように笑った。そして話すことはもう話したと言わんばかりに頭の後ろで手を組んで、後ろへと流れていく外の景色を窓から眺めている。
この男が『調べた』と言うのなら、それは抜け目のない徹底的な調査だったのだろう。――だからこそ、アオギリは思う。
(……哀れな)
実のところアオギリは、マツブサの死後、彼に訪れるであろう未来についてほとんど何も思ってはいなかった。あれはどういうことだ、これはどういうことだと聞き続けたが、それはこれまで考えたこともなかった異常現象を解明したいがための、いうなれば知的好奇心を満たすための行為である。なにもマツブサをどうにかして救ってやりたいなどという、優しい心で聞いていたわけではない。
だが、もしマツブサのことを思うとするなら、それはやはり『哀れ』という一言に尽きた。
(死後、おそらくは永遠にあの場所から離れられないとなれば……さぞこの男には辛かろう)
マツブサは退屈をなによりも嫌う男だとアオギリは思っている。あの異常現象から逃れるために村を出たとマツブサは言っているが、おそらくそれだけではないだろう。娯楽も何もない、ただ野山を駆け巡るだけの生活も、それを後押ししたはずだ。
そんな男が死後、あの土地に縛り付けられる。それもその村に生まれたという、どう足掻いても避けようのない理由で。
そのうえ廃村ともなれば、もしかしたらあの土地は人すら通らなくなるかもしれない。そして何もないあの場所で、彼はひたすらに救いを待つことになるのだろう。さながら蜘蛛の糸に群がる死者のように。……海の匂いに救いを求め縋りつこうと藻掻く、あの黒い影たちとともに。
それはマツブサも分かっているはずなのだ。にもかかわらず、彼は訪れるであろう未来を悲観することなく、ただ笑っている。強がりでもないことは分かっていた、だからこそアオギリにはマツブサの心境が分からなかった。
悲観するどころか、むしろ楽しげな様子さえ見せているこの男のことが、アオギリには分からなかった。
「オレさあ、お前より先に死ぬと思うんだよ」
がたん、と大きく列車が揺れた。
緩やかに減速していく列車内に流れるアナウンスが、まもなく列車が終着駅に到着することを告げた。マツブサは窓の外を眺めたまま、アオギリに語る。
「オレ、酒飲むだろ?」
「……常人の何倍も飲みますね」
「野菜食わねえで肉ばっか食うし」
「危うく三日間肉料理生活になるところでした」
「睡眠もまちまちだし」
「夜までお酒を飲み続けるからですよ」
「うるせー、好きに飲ませろっての。……まあ、あれだ、お前より長生きできる要素ねえの。このままいけばオレのが先に死ぬだろ」
「当然の帰着ですね」
「……あー、でもあれだな」
マツブサが意地悪そうな顔をアオギリへと向ける。
「オレがお前を殺せば、お前より長生きしたことになるな?」
「ほざけ」
「なんだよ、冗談だろ」
マツブサは口を尖らせ、わざとらしく拗ねた顔をしてみせた。それに対してアオギリはいつも通りの冷ややかな視線を送り、マツブサに話の先を促す。はいはい話しますよ、とボヤいてマツブサは再び窓の外へと目を向けた。
「まあ、なんだ。……このままいけば、どんな死に方をしようとオレはあの村に戻ることになるってわけ」
轟音とともに、列車が駅のプラットホームへと入った。車窓からは、つい数時間前まで滞在していたあの村とは比べ物にならないほど発展した駅の構内が見える。
マツブサは僅かに傾けていたリクライニングを元に戻し、窓の外を見つめたまま言葉を続ける。
「なあ、アオギリ」
「なんです」
「オレもあの村にいるかもしれねえな」
「…………」
「あそこまでの道は覚えたろ?」
「……私が覚えておくとでも?」
「覚えてるだろ、お前なら」
「…………」
「来るだろ、お前は。――死んだはずのオレが、この世にいると知ったら」
それは、アオギリが再びあの村を訪れると信じて疑わない声だった。――ああ、そういうことか。
マツブサのその言葉に、アオギリが来ると信じて疑わないその声色に、アオギリはようやく合点がいった。マツブサが、謀ってまでアオギリをあの村に連れてきた、おそらくは本当の理由。
「死んだ後の楽しみができたぜ」
喉を鳴らしてマツブサが笑う。先程からずっと、この男は楽しげに笑っている。
マツブサはアオギリに、己が死んだ後に会いに来いと言っているのだ。四十九日までは自我があるとマツブサは言っていた。大方、死んだ後のそのつまらない時間をアオギリを使って潰そうとでも考えているのだろう。退屈を嫌うマツブサらしい考え方だ。
――だが、とアオギリは眉根を寄せてマツブサを見た。マツブサが、自身を雁字搦めにしようとする不自由と理不尽に対して諦めるとは思えなかったからだ。マツブサがそんな男であるならば、自身の求めるものを容易く諦めてしまうような男ならば、アオギリがここまでこの男に手を焼くことなどなかっただろう。
案の定、アオギリの怪訝な顔を見たマツブサが苦笑しながら口を開く。
「言っとくが、諦めたわけじゃねえぞ。あんなとこに戻るのなんざ真っ平御免だ、それこそ死ぬまで足掻いてやらぁ。……だがな、アオギリ。もしかしたらオレは、あの村に戻っちまってるかもしれねえ」
少しの揺り戻しの後、列車は完全にその動きを止める。アナウンスは乗客に降車を促すが、二人は立ち上がらない。二人だけの車内に、プラットホームを行き交う人々の笑い声だけが響く。
「だから――オレが死んだら、殺しに来てくれよ」
そう言って笑う彼の顔にはやはり陰りなどはなく、その瞳はまっすぐにアオギリを射抜いたのだ。
***
あの言葉に、果たしてなんと答えるべきだったのか。アオギリは未だに分からずにいる。――私が殺したあの男は、今このときにも、あの場所にいるのだろうか。
握りしめた剣の、鈍い光が目を灼いた。
死後は地獄で死を希う
……アイツもここに来れば、もっと面白えんだがなあ」