それは、
ある晴れた日の。
エピローグ
「……なんだよ。やけに嬉しそうじゃねえか」
マツブサはほんの少しばかりアオギリから離れる仕草をして、観察するようにアオギリを見た。――常々アオギリをからかい、その表情が移り変わる様を見て楽しんでいたマツブサではあったが、さすがにこうも素直に感情を表現されると、それはそれで気味が悪い。
そんなマツブサの視線を受けても、アオギリは特に気にした様子も見せずに小さく笑っている。
「そんなつもりはありませんが……貴方がそこまで私に執着していたというのは、存外悪い気がしなかったもので」
「…………恥ずかしーやつ」
マツブサは、ふんと鼻を鳴らして再びそっぽを向いた。自分が心境を吐露したことでアオギリがこの状況を愉しんでしまったのなら興醒めだ。やはりアオギリは以前よりも、どこか感情の制御が効いていないように見える。……そしてそれはおそらく、マツブサ自身も。
(やっぱりオレ達、まだ混ざったままじゃねえのか?)
分子レベルで融合し記憶さえ共有したのだ、魂とやらが転生してもなお、影響を受けていてもおかしくはない。
マツブサらしからぬ執着も、アオギリらしからぬ感情の発露も、お互いが混ざりあったままなのであれば説明がつく。それをどう証明するかと問われれば、そんなもの知るか、と答えざるを得ないのだが。
「……ま、いいさ。言いてえことは言ったしな。……これからどうするよ?」
話しきってスッキリしたマツブサは立ち上がり、大きく伸びをした。長時間、座るか寝るかしかしてこなかった体は凝り固まり、動かす度に音が鳴った。背後から、ちりんちりんと音がする。堤防の上にある道を走っている自転車の音だろう。車通りも増え、人々の声もちらほらと聞こえ始めた。
「これからも、あの研究所の所長やんのか?」
「……そうですね、それも悪くないかもしれません」
アオギリも砂浜からゆっくりと立ち上がった。数十時間眠っていた体を少しずつ動かして、問題がないかひとつひとつ確認している。ぐるぐると右腕を回しながら、アオギリは言葉を続けた。
「ですが、やめておきます」
「へえ? そりゃまた何で」
「旅をしたいんです」
「……は?」
何を言っているんだこいつは、とまるで珍獣にでも出会ったかのような顔をするマツブサに、アオギリは小さく笑う。
「そんな顔をしなくても」
「いや、だってお前……なんだ、どうした? もしかしてアオギリのふりしたイヴァンとかじゃねえよな?」
「違います。さすがにそれは見抜いてください」
「じゃあ何だよ、老後の爺さんみたいなこと言いやがって」
「失敬な。……私はただ、見たことのないものを見に行きたいのですよ」
「なんだそりゃ」
「見たことのないもの、行ったことのない場所。体験したことのない未知の世界を、私も楽しみたいと思いましてね」
「……お前」
それは、まるで。
「いつぞやのオレみてえなこと、……あ」
「フフフ、気付きましたか」
悪戯が成功した子供のようにアオギリが笑った。
「案外、本当に我々はまだ混ざりあっているのかもしれませんね?」
「……くそ。言い出したのはオレだけどよ、本当にそれっぽくなってきたじゃねえか!」
勘弁してくれよ――そうぼやいて、マツブサは頭を抱えて大きくため息をついた。その様子に、おかしくてたまらないといった風にアオギリは笑い続けている。その様もまた、本来のアオギリからはかけ離れた姿だった。
(そんなに笑わなくてもいいだろ、この野郎)
マツブサはアオギリから視線を外し、ふてくされた顔をして海を見た。
しばらくして、アオギリはようやく笑いが落ち着いてきたらしい。まだ少し笑みを点したその口角のまま、アオギリもまた、マツブサと同じように海を見た。
それからしばらくの間、二人は黙ったまま海を眺めていた。何をするでもなく二人はそこに立ち尽くしていたが、不意に背後から気配を感じた。さくさくと、砂を踏む軽い足音がする。
「ばうっ!」
「!」
背後から聞こえてきた鳴き声に二人が振り向けば、そこには首輪をつけたポチエナが一匹、二人を見上げていた。少し遠くに視線をやれば、よたよたと老人がこちらに向かってきている。飼い主だろう。
「……そろそろ行きましょうか」
小さくそう呟いたアオギリに、マツブサは頷いた。こうも長時間、砂浜に立ち尽くしていればそろそろ不審に思われよう。背を向けて歩き出したアオギリに、マツブサは形ばかりの問いかけを投げる。
「どこに?」
アオギリが立ち止まる。しかし振り返ることはせず、はっきりとした声で答えた。
「どこへでも。――手を組めば出来ないことなどないのなら、どこへ行っても同じことでしょう」
「……ああ、そうかよ」
あてのない旅。
マツブサは散々そのような旅をしてきたし、これまでの人生も、同じようなものだった。
しかし、他でもないアオギリがそれをしようとしている。あの、何事にも計画を立て、その通りに事を進めたがる、あのアオギリが。
それがどうしたって可笑しくて、ついついマツブサは笑ってしまうのだった。――そのあとに、不機嫌そうな顔をしたアオギリが、頭を叩きにくると分かっていても。
それは、ある晴れた日の。