未来永劫、
ふたりきり。
立香が極楽とやらに昇ることができたらと、地獄の底で思い至り。
道満は、地獄へ落ちた彼女の手を、離したはずだった。
だのに彼女は此処に居る。地獄の獄卒に持たされた橙色の灯りを手に、地獄へ至る門へと戻ってきたのだ。
「天国はダメなんだって、私」
困った顔をしてそう言った彼女に、なんと言えばよかったのだろう。道満はついぞ分からずに、ただ、自身の行いを悔いた。
そう、道満ともあろう男が、悔いたのだ。
「拙僧の行いは、いつも悪しき結果しか招きませぬなぁ……」
極楽へと至る門が、扉を開くことは無かった。彼女は天へと昇る資格が得られなかった。天に見放され、現世にも降りられず、彼女は此処に戻ってきた。
善意だったのだ。彼女にここは相応しくないと、その時は本当に思ったのだ。だから手放した。
しかし蘆屋道満の、生前も死後も全てを含めた生のなかで一番の善行は、いとも容易く裏返り主に牙を剥いた。彼女は極楽にも地獄にも現世にも、もはや居場所は無い。彷徨える魂は、何も残せず輪廻の輪に戻ることもできず、消滅するだけだ。
「そんなことないよ」
立香が道満の手を取り、にこりと笑う。闇の中、蠢く『何か』に目もくれないその瞳は、雄弁に語っていた。
――行こう、道満。
「ええ、参りましょう。あなたとともに、何処までも」
***
「ランタン、持ってみたかったんだよね。夜でも明るいから、ハロウィンでも使ったことなくてさー」
獄卒から明かりとして渡されていたオレンジ色のランタンを手に持ったまま、二人は地獄の門に背を向けて駆け出した。大きくなる呻き声、迫り来る魔の気配を背中で感じとり、振り返ることなく全速力で。
「ハロウィンといえば、紫色でしょ、オレンジでしょ、黒でしょ? ね、道満、ランタンの明かりの色、変えれたりする?」
闇の中、道満の手を引いて走り続ける立香の足に迷いはない。一寸先も見えぬ黒の世界で、地獄の門から追いかけてくる亡者の手さえ振り切らんとする、その表情だけが明日を見据えて輝いているように見えた。
眩しい、と思う。目を閉じようとして、しかし立香の姿を見失いたくなくて薄らと目を開けたまま、道満は黙って立香に手を引かれていた。
立香の放つ輝きは、生前に感じたような身の内を焦がすものではなく、心の裡にある蟠りを溶かすような、柔らかく包み込むような輝きで。
それがなんだか心地よくて、道満は先ほどまで感じていた罪悪感も何もかもを、その光に焚べてしまった。
彼女の道はひとつに閉ざされた、自分が閉ざしてしまった。しかしひとつ、ひとつだけでも残っているのなら、立香は歩みを止めはしないのだと道満は知っている。呪に毒に、塗れた手を躊躇いなくとってくれた彼女は、あらゆる絶望をその小さな背中に背負い込んで、人理を救ってみせたのだ。
背後から迫り来る無数の手は、道満を地獄へと引きずり戻そうとする。天にも地にも見放された立香の存在を、抹消しようとする。その薄汚れた手を立香に触れさせてなるものかと、道満は彼女を抱き上げた。
「わっ、わっ、道満!?」
「口を閉じられよ、マスター! これより術を用いてかっ飛ばしますゆえ、舌を噛みますぞ!」
口が悪くなったと自分でも思う。みっともないと思ったりも実はする。けれどカルデアでの日々がなければよかったなどとは思わない。
むぐ、と立香は口を閉じた。道満の首に腕を回して、じっと彼を見つめる彼女の目に、一点の曇りもない。
その目が、好ましいと思い始めたのはいつからだったか。自身の仕える主は、力を貸せと命ずる者たちは皆、誰かを恨み、呪い、貶める者たちばかりだった。ただ一人だけ、自分が最後に仕え、自分の宝具になってくれた彼だけが、唯一の例外といえる存在だったのだが。彼とは違う例外に出会えるとは、第二の生、サーヴァントというものは面白いものだと思う。
「マスター!」
この際良い機会だと、道満は彼女が話せないのをいいことに、自身の胸の裡を話してしまうことにした。
何故だかとても気分が良かった。彼女を天にも昇れず地にも落ちれぬ存在にしてしまったことへの自責の念を焚べてしまえば、残るのは今の状況に対する高揚感だけで。もともとこのアルターエゴ霊基になってから、そういった感情は長続きしないのだ。
今はただ、楽しい。
そうだ、彼女と走り抜けたあの日々は、楽しかった。
「地獄の底までお供しようと思うておりましたが……やめました!」
カルデアで、事ある毎にからかわれた過去の言い回し。
立香は今、口を開けない。その代わりにと彼女は彼の顔を呆れた顔で見つめることで、その先を促した。「やめたのか」と。
「ええ、やめました! 地獄巡りなどありきたり、そもあなたの人生の大半など地獄巡りそのものであったでしょう。もはや地獄など見飽きたといって過言ではありませぬ、であれば我らの旅路とするにはあまりにも退屈でしょうて! まだ見ぬ明日へ、まだ見ぬ未来へ、あなたの望むその場所へ! どこへでもこの道満、付き従いましょうぞ!」
術による加速を受けて徐々に追っ手との距離が広くなる。やがてその姿も見えなくなった。
透明な膜を突き破ったかのような僅かな空間の反発を受けて、二人は地獄を構成する空間から逃げきれたことを知る。
「ですからどうか、マスター。……立香殿」
立ち止まり、立香を抱き上げたまま。
道満は、静かに笑った。
「――この道満を、あなたの傍に置いてくださいませ」
未来永劫、ふたりきり。