子供は
手のひらの上で
「潜水艦?」
備え付けられている全ての照明が落とされた、薄暗い部屋の中心。
その部屋の中で唯一、煌々と光を放つモニターを前に、ガルシルド・ベイハンは問いかけた。『SOUND ONLY』の文字が浮かぶモニターから聞こえてきた男の言葉が、彼の生まれた島国には似つかわしくないものだったからだ。
『はい』
必要最低限の返答をした、モニター越しの声――影山零治の声に迷いはない。
「それが身を隠すために必要だというのかね」
『日本が島国であること、治安を担保する監視カメラの数が多い国であることを鑑みて、海に身を隠すことが一番だと愚考いたしました』
「…………」
たしかに一理あるが――と、ガルシルドは椅子に背を預けた。ワインレッドのそれは、軋むことなくガルシルドの巨体を受け止める。
敗戦校の校舎破壊に空飛ぶスタジアムなど、サッカーにおいて、影山が突拍子もない思考回路をしていることはこの40年間の付き合いの中で理解していたつもりだが、なるほど。逃げおおせるためには潜水艦さえ造るつもりか。
『ですが、ガルシルド様もご存知のように、今の私は指名手配犯ですので――お力添えをお願いしたく』
「……ふむ」
さて、どうするかとガルシルドは考える。これからもこの男に投資を続けるか、それとも――口を封じるか。
帝国学園での影山の失敗は、ガルシルドの計画を大きく揺るがすものではなかったものの、決して影響がなかったわけではない。
実際、日本サッカー協会副理事長である影山の逮捕は、日本のサッカー界に大きな衝撃を与えた。影山に手を貸した者たちは次々と逮捕され、大々的にサッカー協会の汚職が暴かれていくことになったのだ。逮捕された関係者のなかには、ガルシルドの息がかかった者もいた。中から報告する者がいなくなった結果、一時的に、ガルシルドは日本サッカー界に手が出せなくなったのである。これは、世界中のサッカーを支配し、それを利用して世界征服を企む彼にとって痛い失敗だった。
この40年間、影山が比較的優秀だったことは事実である。しかし、だからといって今後も使えるとは限らない。今回のような失敗を繰り返すようなら処分は当然だった。
果たしてこの男は、これからも自分の手足として使えるのか。
「……いいだろう。ただし条件として、私の質問に答えてもらおうか、零治君?」
『――……はい、ガルシルド様』
唐突に名前で呼ばれた影山の声が、小さく震えた。モニター越しでも分かる影山の動揺に、ガルシルドは聞こえない程度のため息をつく。これほど分かりやすい反応を返す影山でさえ強者として生き抜いていくことのできた日本サッカー界は、よほど生温い世界のようだ。
それだけが理由ではないことくらい、ガルシルドは分かっている。この『少年』はただ、ガルシルドに怯えているだけなのだと知っている。
父が死んだその日から先に進めないでいるこの男には、やはり『少年』という言葉がよく似合う。体ばかりが大きくなったこの男は、今もなお、ガルシルドの前では小さく怯えるしかない存在なのだ。如何に周囲から恐れられようとも、己の前では塵芥にも等しい。これまでも、そしてこれからも。
ガルシルドは声に出さずに嘲笑い、しかしおくびにもそれを出さずに影山に問いかけた。
「此度の失敗、なぜ起きたと思う?」
『…………』
「私の計画に悪影響を及ぼすような失敗をしておきながら、なおも力を貸せというのなら。――今後どのように挽回してくれるのか、教えてもらおうではないか。安くはない金だ、ましてや潜水艦! 君の暮らす国でそれを製造することが、そしてそれを持ち込むことが如何に難しいことか、分からないわけではあるまい?」
『…………』
よく考えて答えてくれたまえと、そう言ってガルシルドは紅茶に口をつけた。どんなものも、どんなことも、甘すぎるものは毒となる。いかなるものも、苦いくらいがちょうどよいのだ。
問われた影山はなにも答えない。 返答次第では消されるということを、彼ほど分かっている者はいない。
ガルシルドが今、何を求めているのか。どのような答えが最適か。分からない者から、消えていく。消されていく。
『.....……原因は、2つあります』
たっぷり5分、黙りこくっていた影山が、静かに口を開いた。
『1つ目は、雷門中の力を見誤っていたことです。出来て間もないサッカー部であり、またその部員も寄せ集めが多く、帝国学園の敵ではないという判断は誤りでした。情報収集及びその分析方法を再検討します』
「……2つ目は?」
分かっているじゃないかと、ガルシルドは大きく頷き先を促す。
今回の失敗、その最大の原因。翻る赤は、緑のフィールドによく映えていた。
その名前が出てくるだろうと、ガルシルドは鷹揚に構えていたのだが。
『……神のアクアの力を、完全に引き出すことができなかったことです。世宇子中の選手では、やはり力不足でした。より成果の出せる選手の引き抜きを――』
「影山」
影山の口から出てきたのは、まるで見当違いな言葉だった。飛ばされた時系列――これは意図的なものだ。
それ以上の言葉は不要だと、ガルシルドはぴしゃりと影山の声を遮った。地を這うような低い声は、影山の導き出した答えが彼の求めるものではなかったことを示していた。
ああ、怒っていると、影山は息を呑む。知らず知らずのうちに体が震えた。ガルシルドの言葉は、いつだって影山を苛むものでしかない。何十年と世界経済の頂点に君臨し続けた男は、人の心というものがよく分かっている。
その操り方も――その壊し方も。
「まさか、本当にそれが原因だと思っているわけではないだろうな?」
『…………』
「私を相手に出し抜こうなど、君も偉くなったじゃないか、影山」
『……そういう、わけでは――』
言い訳をするなと、幼い頃からあれほど言って聞かせたというのに、この男は。
ガルシルドはこれみよがしに大きく息を吐き、モニターを睨んだ。
「1つ目の原因についてはその通りだ。次は徹底しなさい。……しかし、2つ目の原因は的外れにも程がある」
世子中?
神のアクア?
確かに彼らでは力不足だった。それは事実であり、報告を受けたガルシルドも理解していることではある。
しかし、それが敗北の原因ではない。あくまでもこれは、いうなれば二次災害だ。
原因となった災害は――影山に、ひいてはガルシルドに一時的な敗北をもたらしたのは――彼らではない。
「鬼道有人だ。――そうだろう?」
影山に反旗を翻し、帝国学園を去った少年。
影山の、おそらくは最高傑作であろうサッカープレイヤー。
「もしも鬼道有人があのままお前の手の内に居れば、そもそも世宇子中に鞍替えする必要などなかったではないか。実験には鬼道有人を、帝国学園の選手を利用することができたはずだ」
『……それは、以前にお断りしたはずです』
「君に拒否権があるとでも? 帝国学園の選手を利用した実験計画は予定通りに進めていたよ。……まあ、鬼道有人が裏切ったおかげで、計画は練り直しになったが」
『……申し訳ありませんでした』
「ああ、いいとも。……それが、君の狙いだったのだろう?」
途端、平静を装っていたはずの影山の声が大きく揺らいだ。
『ッ、違います! それは違います……! 鬼道有人の離脱は、私にとっても想定外で――』
「さあ、どうかな」
主の冷えきった声が、影山の心の臓を凍らせる。
ガルシルドは疑っている。影山の裏切りを。
そう疑うに足る情報を、ガルシルドが既に握っているのだと影山に知らしめるには、あまりにも十分すぎる言葉だった。
――心当たりは、あった。
「天に唾すれば自分にかかる――だったか? お優しいことだ、そうまでして私の手の内から彼を逃がしたかったのか。企みを意図的に気付かせるなど、今までのお前なら決してしなかったことだというのに」
ああ、やはり知っていたのかと、影山は真っ白になりかけている頭をなんとか回転させて思案する。なんと言えば、どうすれば許されるのか。
そんなつもりはなかったのだ。だがこうして自身の言動を並べてみれば、それは鬼道をガルシルドの魔の手から逃がしているようにもみえる。
それがガルシルドへの裏切りに値するということは、火を見るよりも明らかだ。
『……違い、ます』
ガルシルドの前では、下手な言い訳ひとつで殺される。沈黙こそがその嵐をやり過ごす、最も生存確率の高い術なのだと影山は知っていた。
しかし完全なる無言は肯定と同義であり、そうではないのだと示すためには否定の言葉を紡ぐほかにない。
「ふむ」
影山の考えていることなど手に取るように分かるガルシルドだったが、さてどうしたものかとその豊かな髭を撫でる。この男は、今なお自身の計画の根幹を担う者として相応しいかどうか、見極めねばならない。
過去40年間の彼の働きは素晴らしいものだったといっていい。それと同じだけの働きを今後も期待できるなら、潜水艦のひとつやふたつ、作ることはガルシルドの財力をもってすれば容易いことだった。この国の首相とは政治的な立場の違いから賄賂を渡してなんとかなるような仲ではないが、なにも首相が全ての決定権を握っているわけではない。誰に金を渡せば潜水艦の入国と滞在が見逃されるのか、建造素材の仕入れが許可されるのか、既にガルシルドの頭の中ではその計画ができあがっていた。
この40年、影山の代わりになるような人材はいなかった。
手塩をかけて育てた人材が手元から離れることを惜しむ影山の気持ちが、分からないわけではないのだ。
「――その言葉を信じてみることにしよう。君のこれまでの働きを考慮してね」
『……ありがとうございます』
固い声に、わずかな安堵の色が見える。それに本人が気付いてさえいないのだろうことに、ガルシルドは呆れるほかなかった。
円堂大介の影に追われ、手がけた作品に執着するその姿は、幼い頃からまるで変わらない。サッカーなどというただの球遊びは、それほど彼にとって魅力的なようだ。――くだらない。
そう切って捨てるには惜しい世界的な地位を、サッカーというスポーツが得ているから、ガルシルドはそれを利用しているだけに過ぎない。結局、影山とガルシルドとが相容れないのはそこだった。――影山という男は、サッカーを愛さずにはいられない。
離れられるはずもないのだと、ガルシルドは知っていた。だからこそガルシルドは40年もの間、影山を利用し続けることができている。
「しかしだね、影山君」
ガルシルドはすぐ側に備えつけられていたデスクに手を伸ばし、置かれていた資料を手に取った。
「君をすぐに計画に戻すわけにはいかない。……君がまだ使える男かどうか、見極める機会が必要だと思うのだが、君はどうかな」
『……ガルシルド様の仰せの通りに』
「ん……」
影山がそう答えることはわかっていたので、ガルシルドは適当な返事を流しながらパラパラと資料を流し見る。――日本で最近、ガルシルドにとって不愉快な動きをしている財閥がある。
宇宙人だなんだと騙っているが、その正体はただの人間だ。そしてただの人間を、宇宙人と見紛うほどに強くする石は、その財閥が独占している。
しかし、計画に加えたい。石は手に入れられずとも、せめてその研究成果を奪いたい。秘密裏にその財閥に提携を打診はしたが、その返答は芳しくなかった。
ならばこのまま、影山にはスパイを続けてもらおう。
「エイリア石の力。……調べてきてくれるね?」
『かしこまりました』
影山の声に動揺はなかった。
幼い頃からの癖らしいハリボテの虚勢ではない。 彼の思考は既に、どうやって研究成果を手に入れるか、あわよくば石そのものを手に入れられるかに向いていることが分かった。
その冷静さを再び乱す術を、ガルシルドは知っていた。思い立った彼は口角を上げ、久方ぶりに歯を見せて笑う。モニターの向こう、影山は気付かない。
「そして、もう一つ。私と約束をしてくれるかな」
『……約束』
「ああ、約束だ。聞いてくれるかい」
それはただの命令だろうと、反論することなど影山には許されていない。ただ、ガルシルドの意図的に甘やかした声が、ぞくりと背を駆け巡る寒気が、影山に緊張を強いる。
「私はもうすぐ、世界規模のサッカー大会を催すつもりでね」
『存じ上げております』
「今回の働きが満足のいく出来であれば、君にも協力してもらうつもりだが……日本代表には、おそらく鬼道有人が選ばれるだろう」
『…………! ……はい、奴の能力があれば、まず間違いなく選ばれるでしょう』
「では――」
我々に敗北を知らしめたあの少年を。
「鬼道有人を、世界大会の間に確実に排除しなさい。あれは『我々』の敵だ。――そうだろう?」
手段は任せる。そのための協力は惜しまない、と。
そう言って、ガルシルドは通話を切った。是としか返ってこない返事をそのまま待つ必要は無い。
ガルシルドは忙しいのだ。
己のための『世界平和』を実現するために、これ以上、塵芥の存在などに構っている暇などなかった。
子供は手のひらの上で