お酒よりも、
 なによりも。

 ひとつ、気付いたことがある。
 あの呑んだくれが、思っていたよりも酒を飲まないことだ。


***


 マツブサがアオギリの家に潜り込むようになってから1ヶ月ほどが経つが、未だにアオギリはマツブサがこの家で酒を飲むところを見たことがなかった。この家に来るまでに酒を飲んでいることは多々あれど、この家の中では一滴も飲んでいないことに気付いてから、アオギリはそれが気になって仕方がない。仕事に支障をきたすほどではないにせよ、頭の片隅に居座るその疑問が、日に日に膨れ上がっていくのをアオギリは感じていた。元来、気になったことはとことん調べないと気が済まない性分なのだ。

 報告書の中のマツブサは、いつも酒を飲んでいる。飲んでいない場面の写真の方が少ないくらいだ。いったいその資金の出処はどこなのだろうと、ついでに部下に探らせているのだが結果は芳しくない。
 あるときには偵察中のアクア団員を見つけて一緒に酒盛りをしたというのだから、相当の酒好きなのだろうと思っていた。――それでも、アクア団員からキッチリ情報は抜き取っていたのだから、やはりこの男は侮れないのだが(当然、そのアクア団員は処分した)。
 それがどうもそうではないらしいという結論に至り、アオギリは首を傾げているのだ。敵の前で酒は飲めないというわけでもないようだから、余計に気になる。そんな殊勝なことを考える男なら、そもそもアオギリの家に乗り込んで飯を寄越せと言いはしないだろう。


***


 今日も今日とて、マツブサはどこからか忍び込んだ挙句、勝手に一風呂浴びて満足気にソファーに座っている。この男のために思考を割くのもそろそろ癪なので、アオギリはさっさと本題を切り出すことにした。

「お酒は飲まないのですか?」
「んあ?」
「飲まない貴方も珍しい」

 右手にはマツブサが好むであろう酒を、左手にはグラスを二つ持って、アオギリはマツブサに問いかける。背後からの声に首を後ろに反らしながらアオギリを見上げたマツブサは、怪訝な顔をして口を開いた。

「珍しいってのはこっちの台詞だぜ、酒の準備までしてるなんて気前いいじゃねえの」
「棚を荒らされるよりマシですから」
「……オレ、ここで酒探したことあったか?」

 ねえはずだけどな、と首を傾げながらマツブサが呟く。やはりマツブサは、アオギリの家では酒を飲まないようにしているようだ。つまりマツブサがこの家で酒を飲まないのは偶然ではなく、意図的なものである。
 その理由が知りたくて――あるいはこの男に割く思考を減らしたくて――アオギリは重ねて問いかける。

「この家ではまったく飲まないようですが、何故です? 敵の前ではやはり飲めませんか」
「……一応聞いとくけどよ、お前本当にそう思ってるか?」
「まさか」

 そんなことを考える男は敵の家に転がり込んできたりしない。

「しかし、ほかに理由らしい理由が思いつかないので」
「そんな大したことじゃねえけど。……気になるか?」

 そう言うマツブサの顔の、なんと憎たらしいこと。『ほらほら、気になるんだろ?』とでも言いたげなその表情は、しかしことさらこの男に似合っているのだから腹が立つ。そして事実、気になっているのだから否定できないのもまた腹が立つ。
 普段より少し乱雑に酒とグラスをテーブルに置いてマツブサの向かいのソファーに座る。そして不服であることを隠そうともしない声でアオギリは「気になります」と答えた。

「気にならないなら聞いてません」
「ホントに大したことねえのに」

 テーブルに置かれたグラスの一つを手に取り、室内の光を反射して輝くそれを眺めながらマツブサは言う。

「別に酒が好きってわけじゃねえのよ、オレは」
「初耳です」
「そりゃ誰にも言う機会なんてなかったしな」

 そう言って、マツブサはすっと目を細めた。くるくると手の中のグラスを回して、光の反射を楽しんでいる。

「酒は暇つぶしでしかねえんだ。何やっててもすぐ飽きちまうから飲んでるだけ。なんも飲まねえでこんなつまんねえ世界、生きてけねえよ。……だから飲んでんの。酔っ払ってりゃ、箸が転がったって面白いだろ?」

 持っていたグラスを、テーブルに残っていたもう1つのグラスにがちんがちんと当てながらマツブサは言葉を続ける。

「逆に言えば、楽しかったら飲まなくていいわけだ」
「……それは」

 マツブサの言わんとすることに思い至り、アオギリは眉根を寄せる。

「……貴方、この家に来て楽しいんですか?」
「そりゃそうさ、お前がいるしな」

 ぽんとマツブサの口から放たれたその言葉に、アオギリは硬直する。もう少し、なんだ、こう、……この男、羞恥心はないのか。
 アオギリのそんな様子を見たマツブサが、まるで酔っている時のように笑う。今がいちばん楽しいのだとでもいうように、げらげらと笑っている。
 マツブサは持っていたグラスを置き、ソファーの背もたれに体を預けて言った。

「お前と居るのに酒はいらねえよ」
「……随分と恥ずかしいことを言ってくれますね」
「隠したところでなんもねえしな。……ってなわけで」

 ばっ、とマツブサが両腕を広げた。そこに、わざとらしく人懐こい笑顔も添えて。

「晩飯くれ!」
「…………」

 当然、そんな笑顔がアオギリに通用するはずもない。――そう言いたいところだが。

「…………食事は自分で注ぎなさい」
「やりぃ!」

 ――結局、アオギリはマツブサに甘いのだった。


お酒よりも、なによりも。