暇人どもの
変わらぬ日常

 マツブサがアオギリにちょっかいをかけることはよくあることだが、その逆は滅多にない。――だが、全くないということではない。
 現に今、アオギリはマツブサにちょっかいをかけていた。アオギリの家のソファーで黙々と本を読んでいるマツブサの頬を、隣に座るアオギリがちょいちょいとつついている。しかしそれに飽きたのか、今度はマツブサの背後に立ち、背もたれ越しにマツブサの首に腕を回した。そしてマツブサの肩に自身の顎を乗せ、そのまま動かなくなってしまった。

「……アオギリ」
「なんでしょう」

 ぱたんと読んでいた本を閉じて、マツブサは背後にいるアオギリの方を振り返る。肩にアオギリの顔が乗っているので、間違っても振り向きざまにキスをしないよう慎重に振り返る。

「嫌がらせか?」
「ええ、そうです。少しは自分の時間を邪魔される気持ちが分かりましたか?」

 取り繕っても無駄だとわかっているアオギリの声は、行動とは裏腹にひどく素っ気ない。アオギリの家を訪れたにもかかわらず静かに本を読んでいるマツブサに、少しは自分と同じ気持ちを味わわせてやろうというアオギリの意趣返しであった。
 要は今日のアオギリは暇なのである。普段のマツブサの真似をする程度には暇なのである。

「なんだよ、せっかくお前の邪魔しないで居てやってんのに」

 マツブサが呆れた声で言う。それに対してアオギリは何も言わず、その体勢のまま再びマツブサの頬をつつきはじめた。背後を振り返っているマツブサから見て、ちょうど死角となる方だ。

「貴方がなんの気兼ねもなく自分のしたいことをしていることに、少々腹が立ちましたので」

 普段は私の邪魔をするくせに、と言ってアオギリはつついていた指を止め、今度はマツブサの頬を引っ張りだした。あまり肉のついていないそこを柔く摘んで、上に下にと弄んでいる。

「痛え」
「貴方なら大丈夫です」
「おめえが判断すんじゃねえ、さっさと手をどけろ」

 マツブサはぱし、とアオギリの手をはたく。それはアオギリの家を訪れているときのマツブサらしからぬそっけない態度だった。
 しかしその声色は不機嫌なものではなく、少しばかり笑っているようだ。その様子を見て、アオギリはおや、と首を傾げる。同じような会話を、つい最近にした記憶があったからだ。
 そしてそれを思い出したとき、アオギリはマツブサの意図に思い至った。――なるほど?

「一週間前の私の真似ですか」
「どうよ、ちょっかいかけて素っ気なくされる気分は?」

 マツブサがにやにやと笑いながら、先ほどはたいたアオギリの手の甲を摘む。それはもう思いきり摘んできたので、アオギリは痛みに顔を顰めた。加減の知らない男だ。――いや、加減を知らなかったのは一週間前の私か。

「…………」
「…………」

 しばしの沈黙の後、アオギリの手の甲を摘むことにも飽きたらしいマツブサは前を向いて座り直す。そして閉じていた本を再び開いて読み始めた。
 アオギリはそれを見て、再度マツブサへの悪戯を実行する。マツブサから本を取りあげて背後に投げ捨てた。普段なら絶対にやらないが、一週間前のマツブサと同じことをするためには致し方ない。そもそも自分の本でもないのだから気にする必要もないだろう。大方、あの日のマツブサも同じことを思っていたに違いない。
 するとマツブサはわざとらしく大きなため息を吐いてくるりと振り向き、これまたわざとらしく呆れた顔をしてみせた。――私はあの日、そんな顔をした覚えはないのだが?
 やはりアオギリがマツブサの真似をする限り、マツブサもアオギリの真似をするつもりらしい。いいだろう、その勝負、乗ってやろうではないか。
 理由などただひとつ、アオギリは暇なのだ。文句があるなら何もする気が起きないほどに暑い夏に言ってくれ。
 それからしばらくの間、二人は至近距離で見つめあった。特に深い意味はない。今はお互いがお互いを真似している状態なので、その通りに相手の真似をして見つめているだけだ。相手が目をそらさないから見つめあっているのである。

「……なんだよ」
「いえ、なにも」
「そうか、じゃあどけ」
「それはできない相談ですね」

 いつかのどこかであった会話をなぞり、二人は話し続けた。相手の言葉に対応する記憶を掘り起こし、過去と同じ言葉を並べる。自分の言ったことではなく、相手の言ったことに忠実に。言った時期もバラバラだ。一か月前のものもあれば、三ヶ月は前のものもある。暇つぶしにはちょうどいい言葉遊びだった。

「ほら、飽きたらさっさと帰れよ」
「は? ここは私の家です、追い出される謂れはありません」
「おいおい、そこは『なんです、つまらない男ですね』って返すとこだろー?」

 言葉遊びのさなか、マツブサは家主たるアオギリを追い出そうとする。馬鹿を言うなと、アオギリはにやにやと笑うマツブサの頬を思いきり抓った。

「痛え!」
「自業自得です。……ちなみに私が出ていったら、ここで何をする気なんです?」
「そりゃ帰るだろ」
「私が出ていった意味がないじゃありませんか。最初から貴方が出ていきなさい」

 そう言って、アオギリはぱっとマツブサから離れる。そして背後に投げ捨てた本を拾い、マツブサへと差し出した。此度の言葉遊びはここまで、ということだ。

「なんだ、もう終わりかよ」
「そろそろ飽きてきた頃でしょう?」
「よくお分かりで」

 アオギリから本を受け取ったマツブサは、それを開かずそのままソファーへと置いた。ぱしぱしと本の表紙を叩きながらマツブサが言う。

「これ置いといてくれ、また読みに来るからよ」
「ここは図書館じゃないんですよ。そしてクローゼットでもありませんので置いたままの服ともども早く持ち帰ってください。そこにひとまとめにしてあります」

 アオギリが指さす先には、赤茶色のチェストがあった。そこにはマツブサの置いていった服やら小物やらなんやらを詰め込んである。綺麗に畳んで収納してもいつの間にやら乱雑になっているそれは、少しずつ量を増やしつつあった。つい半年前は小さな赤い箱だったのだ。それが今ではチェストである。

「はいはい、また今度な」
「……一ヶ月前にも聞いた気がしますね、その言葉?」
「そうだったか? 忘れたなぁ」

 三ヶ月前のくだらない会話は覚えているというのに、なんと都合のいい頭だろうか。マツブサは意地でも持ち帰るつもりはないらしい。……まあ、荷物を運び出すためにマグマ団の部下をぞろぞろと連れてこられても困るのだが。
 アオギリの拒否など意にも介さず、マツブサは本を持って立ち上がり、チェストへと近付いていく。そして一番上の引き出しを開けて、中も見ずに本を放り込んだ。間髪入れずアオギリは言う。

「そこは服を入れる場所です」
「ふーん」
「…………」

 燃やしてやろうか、この荷物全て。
 アオギリはソファーへと戻ってきたマツブサをじとりと睨めつける。それを気にする素振りもなくマツブサはどかりとソファーに座り直した。そして足を組んで、浮かせた方の足を楽しげにゆらゆらと揺らしているマツブサの様子に、アオギリは怪訝な顔をする。

「……随分と上機嫌ですね」
「うん? そりゃあ……なあ?」

 マツブサが意地の悪い顔で笑う。アオギリはそれに眉根を寄せたものの、顎をしゃくって話の続きを促した。そんなアオギリの様子に、マツブサはさらにその瞳を弓なりにしならせる。

「くくく……お前が構ってくんのは悪い気がしねえなぁ、と」
「…………」

 そう言って、マツブサは上機嫌に鼻歌なんてものを歌いだす。真っ昼間だというのに、このまま戸棚から酒を取りだして飲みだしてしまいそうだ。……それはいつものことか。
 いい暇つぶしにはなったものの、そもそも当初の目的は『マツブサに同じ気持ちを味わわせる』ことだったはずである。アオギリは、此度の行動がまったく意味をなさなかったことに深いため息を吐いた。


暇人どもの変わらぬ日常