広がる世界
シンジュ団の一員からの依頼をこなしたショウは、その報告のためにシンジュ団の集落を訪れていた。
そしてその報告も終わり帰ろうとしていたところを、依頼主であった女性に引き止められた。『お礼に温かいお茶でもいかが』と声をかけられ、一も二もなくショウは頷いた。外は寒いのである、それはもう本当に寒いのである。
お湯を沸かしてくれているその傍らで、ぼんやりと見慣れない住居を眺めていたショウだったが、ふと、その壁にかけられた肖像画の存在に気付いてそれを見上げた。――そういえば、この人は一体誰なのだろう。
「この人は、もしかして話に聞く先代の方ですか?」
ショウからの問いかけに、女性はうん? と首を傾げてショウの視線の先に目を遣った。そして、『ああその方は、』と呟いた。
「いいえ、この方はシンジュ団の初代様です」
「初代様?」
「ええ。……シンオウ様と初めてお会いした方であり、このシンジュ団をお作りになった方です」
そう言って女性はショウの前に温かいお茶を差し出した。『熱いですからお気をつけて』という助言に従い、ショウはふうふうと息をふきかけながらそっとお茶に口をつけた。……温かい。
ほっと一息をつくショウをしばらく見つめていた女性だったが、やがてショウと同じようにその肖像画を見上げた。
「本当は歴代の長、その全員の御尊顔を描き、お飾りすることができればいいのですが。……我々はこのヒスイの大地を旅しておりますから、持っていくことのできる荷物には限界があります。長への忠誠心が、この先を生きていくために必要な物資を圧迫することを、歴代の長はお許しになりませんでした」
このヒスイの大地は、人が生きるにはあまりにも過酷な土地だ。それはショウも身に染みて理解している。もしもシンオウ様に出会った場所がもっと暖かな場所であればと、呟いていた団員を見たこともある。生きるために必要なものを、持ち歩くだけで手一杯だった時代もあったことだろう。
「ですから、せめて初代様の御姿だけでも掲げることにしたそうです。このお方なくして、我々シンジュ団は存在しませんから」
「そうだったんですか……」
そう語りながら肖像画を見上げる女性の表情が、少しだけ穏やかになる。シンオウ様への信仰もさることながら、このシンジュ団を作り上げた初代に対する信仰もまた、彼らには芽生えているらしかった。
「……どんな方だったんでしょうか」
ヒスイ地方に散らばる古いポエムの一節にあった、おそらくは『広がる世界をみた』人。世界の果てを求めた人。
創始者の話ともなれば、さぞ様々な逸話があるのだろうとショウは思っていたのだが、女性は目を輝かせるショウに対して申し訳なさそうに首を横に振った。
「実は私どもにも、あまり語り継がれていないのです」
「え……そうなんですか? 初代の方のお話なら、一番語られてそうなのに……」
「『語られるのはシンオウ様の話だけでいい』と仰ったそうで」
「……ああ、なるほど……」
シンオウ様に出会い、時を重視する道を選んだコンゴウ団との決別を決めた、そのリーダー格なのだ。自身について語られることよりも、シンオウ様について語られることの方が重要だったのだろう。
「そして、『その信仰の在り方を語り継ぐように』と。それだけを強く言い残したとのことです。……本当のことかも定かではありませんが、私どもも、初代様についてはこのくらいしか……」
「いえ、そんな、お話を聞かせてくださりありがとうございました。……そろそろお暇を」
「あら、そうだったわ。まだ任務があるのでしたね、私ったらお喋りなもので……」
出されたお茶を綺麗に飲み干し、ぺこ、と頭を下げてショウは立ち上がる。合わせて立ち上がった女性がぱたぱたと入口に向かいそこを開ければ、勢いよく冷たい風が流れ込んできた。思わず目を瞑り、しかしここにいつまでもいるわけにはいかないので、ショウは意を決して外へと足を踏み出した。――寒すぎる、既に建物の中が恋しい。
さあ帰ろうと、ショウは寒さに震えながらカミナギの笛を取り出す。
「――ねえ、ショウさん」
そしてアヤシシを呼び出すために笛に口をつけたショウの背中に、女性から声がかかった。
その表情は、吹雪く風に遮られ少し見えづらい。
「はい」
「……あなたは、どう思われますか」
「……? 何をでしょう」
「シンオウ様について」
「…………」
カミナギの笛をバッグに戻し、ショウは女性と向き直る。
「シンジュ団とコンゴウ団。……どちらのシンオウ様が正しいのかしら」
「……それは」
それは、部外者である自分が口を挟んでいい問題なのだろうか。
ショウは部外者も部外者、時空さえ超えて現れた異邦人なのだ。はるか昔から根付いていた信仰に、軽々しく口を出してもいいものか――
この世界について分からないなりに、この問題がはるか昔からの因縁の問いかけであることをショウも理解していた。
答えあぐねているショウに対して、女性はつとめて穏やかな声で語りかける。
「怒ったりなんてしません。……荒ぶるキングを、クイーンを鎮めるあなたの意見を、私は聞いてみたいのです」
「…………その、私は――」
あの雷はなんなのか、何が目的なのか、ショウには分からない。苦しむキングやクイーンを間近で見てきたショウにとって、シンオウ様という存在は謎でしかない。
けれどひとつだけ、言えることがあった。この広大なヒスイの大地を駆け回り、これからもそうしていくことになるかもしれないショウにとって、ひとつだけ確かなことが。
「私は。……シンオウ様について、ほとんど何も知らないので、言えることって、きっと多くないんですけど」
「はい」
「……今こうして皆さんと話をしている『時間』、そして皆さんと生きている『空間』。……私は、どっちも好きです」
「……ショウさん……」
「だから、何かあったらみんなを助けたいです。シンジュ団の方でも、コンゴウ団の方でも。……ギンガ団の方でも、それ以外の方でも」
――そして。
「ポケモンたちも。――難しいかもしれないって、私も思ってはいるんですけど」
それでも、嘘偽りない本音だった。
訳もわからずこの世界に放り出され、右も左も分からないままコトブキムラへとたどり着き。
衣食住さえ保証されないこの世界で、けれどここまで生きてこれたのは、この世界に生きる人々のおかげなのだ。人の手では超えられない壁を超えるために力を貸してくれたポケモンたちのおかげなのだ。
だから、彼らと共に過ごすこの『時間』を、共に生きるこの『空間』を、ショウは守りたかった。自身が生きるためでもあるし、なによりもそれが、ここでお世話になった彼らへの恩返しだと思ったからだ。
えへへ、と照れくさそうに笑うショウの姿を、しばらくの間、女性はじっと見つめていた。そして、小さく笑みを零す。
「……そうですか。ありがとう、ショウさん。……あなたのご武運を、切に願っております」
お気をつけて、と見送りに振られる手に振り返し、ショウは今度こそアヤシシを呼び出すためにカミナギの笛を吹いた。旋律に誘われ姿を現したアヤシシの背に跨り、もう一度女性に手を振って、ショウはシンジュ団の集落を後にする。
人の足では到底追いつけない速さで、多少の段差などものともせずにアヤシシがヒスイの大地を疾駆する。――シンジュ団の初代も、こんな気持ちだったのだろうか。
『広がる世界』を見た人。――それは物理的に広がる空間を見たのだろうか。
それとも、己の中の見識のことを指していたりするのだろうか。
綴られたポエムを、いくら読み解こうとしてもショウには分からなかった。きっと前者の意味なのだろう、だがもし後者の意味も含むなら、それは自分と一緒だな、と思ってみたりした。
やっぱりショウは、このヒスイの大地が、そこで生きる人々が、ポケモンたちが好きだった。ここで過ごすみんなとの時間が好きだった。
同じ時を過ごす度に、この広大な大地を駆け回る度に、自身の中で広がっていく『世界』を、確かにショウは感じていた。
広がる世界