違いと呼ぶには、
あまりにも。

 今回の収管作業は、事前に想定していたよりもはるかに長引いてしまった。作業を始めたときにはまだ地平線から姿を見せたばかりだった三日月は、もう完全に昇りきってしまっている。
 そんな作業にも終わりの目処がたち、一息ついていた、そんなときだった。――先程までなかったはずの『気配』が、突然現れたのは。
 あるはずのない肌が粟立つ感覚。たしかな寒気を感じて、私は咄嗟に、懐に忍ばせている拘束銃に手を伸ばした。この寒気はどこかで感じたことがある気がするが、それは今考えることではない。
 その気配は私の背後に、しかし遠くにある。……もしも、収管しきれていなかった超実体がそこに居るのだとすれば、早急に対処しなければ。
 足に、腕に、力を込める。その間に、振り向いてからの作戦を脳内で構築する。振り返った後に自身が起こすべき行動、そして、この場を収めるのに適切な隊員をリストアップして、彼らに出すべき指示を――

「隊長、少しいいか」

 馴染みのある声に、私はつい、動きを止めてしまった。――チュウゲンだ。
 きっと今の私は、それはもう不自然に固まっていることだろう。現に、チュウゲンはそんな私を見て、首を傾げているのだし。
 数秒の沈黙の後、彼は自身の頭をかきながら口を開いた。

「あー……そうか。今は隊長も『見える』んだったな」

 そう言って、今度は顎を手でさすりながら何事かを考えているらしい彼は、どことなくバツが悪そうだ。

「『見える』? ……それなら、あの気配は霊体のものか」
「ああ、超実体じゃないな。超常現象に呼び寄せられたのか、元からここに居た奴なのかは分からんが……」

 チュウゲンはそこで言葉を止めて、ひどく悩ましげに唸っている。そこまで彼を困らせるようなことを言った覚えも、した覚えもないのだが……

「……私が『見える』ことに、なにか問題が?」

 思い当たる節といえば、これくらいだった。私の言葉に、チュウゲンは首を横に振る。

「問題は、まあ、無いんだけどよ。……いつもは、それとなく別の場所に誘導したりしてたもんで」

 彼のその言葉に、今度は私が首を傾げる番だった。

「何故?」
「昔のあんたは、こういうのは『見えなかった』んだよ。だから、何の対処法も手元にないときは、まずは撤退するってことになってた。『見える』俺が、皆を安全な場所まで誘導して、そこから作戦を立てるって形だ」
「なるほど」

 これは、今後の作戦立案の際の参考にしよう。チュウゲンの言葉を脳内のメモに素早く書き込んで、私は彼に、あの気配に関する意見を求めることにした。こうした専門的な話は、実際に対応したことのある者に聞いた方がいい。

「あれは、多分……今回の超実体とは関係ないと思うぜ」

 チュウゲンの視線は私ではなく、その背後へと向いている。彼の視線を受けたからか、それとも私達が話をしているからか。その気配は、先ほどよりも大きくなった気がした。……そして、それと同じくらい、寒気も強くなったような。

「ただ……うん。一応、シンリョウにこの場所について調べてもらおう。相互作用の可能性がないとも言いきれないしな」

 言うやいなや、チュウゲンはシンリョウに連絡をとり始める。彼らの会話は速やかに終了して、彼はまた、私の方へと向き直った。

「現場の整理にはまだ時間もかかりそうだし……ついでに、この気配についてもある程度のカタはつけとこう。構わないか、隊長」
「ああ。……何かあってからでは、遅いからね」

 そう、何かあってからでは遅いのだ。
 だから、私は把握しておく必要がある。背後にあるあの気配が、はたして何なのかを。たとえ今回の超実体と、関連があろうとなかろうと。
 今度こそ後ろを振り返ろうとした私を止めたのは、またしてもチュウゲンだった。

「ときに、隊長」

 私が振り返ることができないように、彼は私の腕をぐっと掴んでいる。一応、引き離そうとしてはみたものの、彼の手はびくともしない。

「ひとつ、約束してくれないか」
「何かな」
「あの気配がする方へ、振り返らないでくれ」
「……それは何故なのか、聞いても?」
「多分……今回の霊体は、『今のあんた』と、とんでもなく相性が悪い」
「どれくらい?」
「あんたの安定度に、異常をきたしかねないくらい」
「……分かった。忠告してくれてありがとう」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 シンリョウからの調査結果を待ちつつ、現場の撤収作業を手伝う。もちろん、あの気配を見失わないよう、そちらにも意識を割いて。けれど、決してそちらを向かないように。
 隊員達がまとめてくれた報告書と、南廷支部に届けるべき資料に目を通している私の向かい側で、チュウゲンは大きな機材を手慣れた様子で片付けている。いつもは私の隣か、あるいは後ろに立ち、背後からの襲撃に備える位置に居るというのに、今日ばかりは私の前方――私の背後が見渡せる位置にいる。私に、向かい合う形で。
 チュウゲンが機材を片付けている音だけが、耳に残る。私は、ふと手を止め、自分の指先を見つめていた。……さっき、この手が止まってしまったことを思い出す。

「……すまなかった」

 私の言葉に、チュウゲンが手を止めて、こちらを見る気配がした。

「もし、あれが超実体だったら、危なかった。……反応が遅れた」
「…………」
「もっと、訓練を重ねないといけないな」

 私は苦笑しようとしたが、黒煙でできた体ではそれもうまく形にならなかった。きっと私に顔があったとしても、それはひどく不格好なものになっていただろう。
 隊長として犯した判断ミスは、部隊全体に悪影響を及ぼす。あの瞬間は、私が動きを止めてしまったあの時間は、人間にとっては一瞬だったかもしれない。しかし超実体にとっては、きっと永遠にも近い時間だ。
 それくらいに、超実体は我々が認識している領域を大きく凌駕している。
 まだまだ自分が、隊長として足りないところがあるのだと自覚させられる。それは、成長する余地があるのだと言い換えることだってできる。だが成長する前に、皆を失ってしまっては――

「……だったら俺が、あんたより早く気付いてやるよ」

 チュウゲンが、笑いながらそう言った。
「あんたが気付いたときには、もう報告書を待つだけって形にできるように」
「……それは、根本的な解決にはならないのでは? これは私の判断力の問題で、私がそれを鍛えなければ意味がないのだから――」
「隊長は、俺達が何も言わなくたって頑張ってくれてるじゃないか。そんな隊長がもっと頑張るってんなら、俺はもっともっと頑張るってだけの話さ」

 それはこちらのセリフだと、言う前に鳴り響いた着信音。発信源はチュウゲンのテレホンだ。

「ん、シンリョウからか。調査結果が出たらしいな」

 いつものように通話に出れば、シンリョウはその調査結果を過不足なく伝えてくれた。

「……じゃあ、今回の超実体との関連も、超常現象と相互作用する可能性も低いってことだな? ……分かった」

 通話が終了し、チュウゲンがこちらを見る。

「――ってことだ。これ以上の捜査は多分、南廷に任せた方がいいだろうな」
「ありがとう、チュウゲン。南廷支部への引き継ぎ資料は私が作っておくよ」
「お安い御用だ、隊長。必要なら、俺の方で資料も作っておくが」
「そこまでさせてしまったら、私の立つ瀬が無くなってしまうよ。撤収作業が終わったら、ゆっくり休んでくれ」

 そう言ってチュウゲンの肩を叩けば、彼は途端に眉根を寄せた。

「それ、こっちが言う立場だと思ってたんだけどな?」
「じゃあ、お互い様ということにしよう」
「それじゃあ、今日はお互い、ゆっくり眠って休もうな、隊長?」
「…………」

 私は黙ったまま、報告書に目を戻すふりをした。――それでも、耳だけは、しっかりとチュウゲンの声を追っている。

「えーっと、今日の見張りは俺と? センシュウと? あとは誰がいいか……」
「分かった、私が悪かった。ちゃんと寝る、ちゃんと休むから……」

 指折り数え始めたチュウゲンの手を、慌てて取り押さえる。すんなりと私の手の内に収まってくれた彼の手は、堪えきれていない笑いに震えていた。


違いと呼ぶには、あまりにも。

……そういえば。
あのとき感じた、あの寒気は――
――現実が流失したときと、少し似ていた気がする。