今日も貴方は
ここに居る

 地下鉄拠点に根を下ろして、少し落ち着いた満月の夜。
 隊長がいつも通りに眠っていることを確認した俺は、仲間達と約束した場所へと急いだ。いつまた、南廷の揉め事に巻き込まれるか分からない。話し合えるときに話し合っておくべきだ。
 議題はひとつ。――隊長の、現実流失について。


「なにか残せたりはしないんですかね?」

 センシュウが、手元の資料に目を通しながら言う。各々が手に持つそれは、シンリョウがまとめてくれたものだ。現在の隊長に関する経過報告と、その身に起きている現象について丁寧にまとめられている。だがそれは、俺達に、重たい現実を突きつけるものでもある。

「『居なかった』ことになる以上、それに関連するすべての事象は現実から消えるでしょうね。記憶もそうだけど、写真や文書も」
「そして、それらが無くなっていることへの違和感を覚えることも難しそうですぅ……改変された過去との整合性をとるために、その人が居た場所には別の人が居たり、そもそもそんな席が存在しなかったりする可能性が極めて高いかと……」
「…………」
「パラレルワールドに迷い込むようなものかしらね。……迷い込んだことに、私達は決して気付けないけれど」

 ミンソウとシンリョウの分析に、俺は口を閉ざすしかなかった。
 現実流失による歴史改変は、既に複数回は発生している可能性がある、とされている。もしもそれが本当に起きていたことだとして、だが俺達は、それを認識できていない。
 つまり、同じことが隊長の身にも起きてしまえば――隊長の存在性が、完全に失われてしまったら――俺達は、あの人を覚えていられないことになる。

 あの人との過去は、無かったことになる。
 あの人に立てた誓いも、すべて、最初から無かったことになる。

 そして、そのことに俺は気付けないのだ。だって、改変された過去に、あの人は居ないから。居ない人に、一体どんな誓いを立てるというのだ。
 それともなんだ。あの人が居なくなって、『改変された過去』のうえに立つ『現在』を生きる俺は、あの人ではない誰かに、同じ誓いを立てているかもしれないのか。
 そんな未来に――そんな『現在』に、俺は生きることになるかもしれないのか。
(……冗談じゃない)
 手の内の資料が、ぐしゃりと潰れる音がする。やってしまったと、俺は皺だらけになった紙を可能なかぎり元に戻そうとしてみる。だが当然、一度ついてしまった皺が消えることなどないわけで――
(……過去改変ってやつは、これさえも変えちまうってのか)
 そもそも、この資料自体が、作成されなかったことになるのだろう。今のこの瞬間、俺の手の中でぐしゃぐしゃになった紙なんてものも、存在するはずがない。
 あったとしても、それはきっと別の紙だ。そこにあの人のことなんて、一文字も書かれてなんていやしないのだ。


「チュウゲン」

 その呼び声にハッとする。気付けば、全員の目が俺の方を向いていた。
 なんとなくバツが悪くなって、俺はわずかに目を伏せる。伏せた視界のなか、全員の手元を見れば、その手のほとんどは多かれ少なかれ力んでいて、紙の資料に皺を作っていた。ミンソウだけは、資料ではなく眉間に、いつもの倍くらいの皺を作っていたが。

「隊長に居なくなってほしくないのは皆、一緒よ。……貴方は、自分のことを責めすぎている」
「そんなことは――」
「ない? 本当に?」
「…………」
「私には、そうは見えない」

 ミンソウの言葉は、とてもまっすぐだ。そして、鋭い。痛いところを突かれたら、呻きたくなるくらいに。

「……隊長を、守れなかったのも……皆、一緒ですよ」

 シンリョウの控えめな声が、静寂に包まれた駅のホームに響く。

「チュウゲンだけじゃありません。もちろん、貴方が隊長に誓いを立てていることは知っていますが……私達だって、悔しい」

 そう言って、シンリョウは資料を抱きしめた。今ここに在る、隊長の存在を確かめるように。

「……考えるな、とは言いません」

 センシュウが、いつもより少し低い声で言う。それは、この場所が声を反響させやすいから声をひそめているのか、それとも。

「むしろ逆です。私達は、考えることをやめてはいけない。私達が諦めてしまったら、隊長はどうなるんです? ……そんなこと、言うまでもありませんよね」

 センシュウのこんな声を、今のあの人はきっと聞いたことがないんだろうな――なんて現実逃避を、今のセンシュウは許してくれない。

「考えましょう。『私達みんなで』考えましょう。思うところがあれば口にしましょう。可能性があるなら共有しましょう。一人で思い悩んで、抱え込むのはやめましょう。……まあ、私が言っても、あんまり説得力はないかもしれませんけど」

 苦笑するセンシュウの顔に影が落ちる。明るく振る舞い、隊長とは別の角度からチームの士気を上げてくれるセンシュウの、ある意味、副官らしい一面。

「いいですね? チュウゲン」
「……了解だ。悪かったよ」

 両手をあげて降参のポーズをとれば、センシュウはすかさず俺の脇腹に拳を叩き込んできた。その勢いはとても軽いものだったが、予想外の攻撃に、俺は思わず目を丸くする。

「分かればよろしい!」

 そう言って、センシュウは俺を見る。その顔に既に影はなく、いつもの、隊長と共にいる時の顔つきで俺を見る。
 センシュウだけじゃない。ミンソウも、シンリョウも、静かに俺を見ていた。
(……相当、心配されていたらしいな、俺は)
 そしてそれに気付けなかった俺は、とんだ大馬鹿野郎だ。

「何か気付いたことがあったら、どんなに些細なことでも報告すること! 全員が集まることができなくても、他の誰か、一人でもいいので共有すること! これは決定事項です、異論は?」
「ないわ」
「ありません〜」
「了解」
「では、今日は解散! ……目の下に隈なんて作っちゃったら、隊長に心配させちゃいますからね」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ――結局あのあと、俺はほとんど眠れなかった。こういうとき、このグラスを目にかけていて良かったと思う。

「おはよう、皆。昨日はよく眠れたかな」

 視線の先、いつもの場所に、隊長がいた。俺達の目の前に、湯気がたったカップを手に持って、机の上にはもう紙の束を準備して、そうして、いつもの椅子に座っている。

「おはようございます! 隊長の方こそ、昨日はよく眠れましたか? まさか、こっそり夜更かしなんてしてませんよね〜?」

 センシュウの明るい声が響く。こういうとき、意図的に場の雰囲気を和ませようとしてくれるこいつに、俺はそろそろ何か奢ってやるべきかもしれない。本当は、俺もそちら側に立つべきだと、頭では理解しているんだが……まだ切り替えられていないらしい。

「ああ、おかげさまで。休むことも仕事だと、口酸っぱく言われてしまったからね」
「言われなかったら、今後もするつもりだったんですか! やっぱり事前に言っておいて良かったです、ねっ、シンリョウ!」
「はい、本当に……。ただでさえ、隊長の状態は不安定なところが多いので〜……日々の生活は、予測の範囲内の行動を心がけていただければ助かります」
「分かったよ。苦労をかけてすまない」
「苦労ではありません。私達は隊員として、当然の進言をしているまでです。まあ……もし、隊長が聞き入れてくれないとなると、苦労することになるかもしれませんが」

 ミンソウが肩を竦めてそう言えば、隊長の煙が少し大きく揺らめいた。

「うーん……善処するよ」
「それ、絶対にしないやつじゃないですか」
「ちゃんと頑張るよ」
「本当ですね? センシュウはちゃんと見てますからね!」

 ゆらゆらと揺らめく黒煙に目くじらを立てるセンシュウに、隊長が笑う。シンリョウが『助手ちゃん』を操作して、手際よく隊長の状態をスキャンしていく。ミンソウが、いつもよりも少し柔らかな目でそれを眺めている。
 地下鉄拠点の日常。隊長の、拘束ベルトの下に留められたものが全て失われてしまえば――それと同時に改変されてしまう、『現実』。

「隊長」
「ん?」

 シンリョウが動かしている『助手ちゃん』の動作の邪魔をしないためだろう。最小限に、けれど確かにこちらに顔を向けてくれた隊長に、俺はいつもの言葉をかけた。


今日も貴方はここに居る

おはよう。
――今日はどうする?