強くあれ。
せめて、死なない程度には。

「ほんッとうに……才能がないのう」
「ゴホッ……ッ、昔からッ、ご存知でしょうに!」

 地に倒れ伏し、げほげほと咳き込みながらスパンダムは目の前の男を見上げた。特徴的な長い鼻をふんと鳴らしながら、スパンダムの目の前に立つ男――カクは言う。

「まさか今も弱いままとは思わなんだ。あんなことがあった後じゃ、普通、身を守るために武術のひとつでも身につけるもんじゃろ」
「つけました! 身につけました武術! 全部吹っ飛ばされただけです!」
「おお、そりゃすまんかったな。なんも分からんかったわい」
「〜〜〜〜!!」

 スパンダムは気色ばみ大きく口を開いたが、見下ろすカクの瞳の冷たさにぎゅ、と口を噤み顔を伏せた。しかし馬鹿にされた怒りは収まらず、それに任せて地面を思いきり叩く。おかしなところを打ったのか、地面を叩いた腕が痺れた。しかしスパンダムは、それを気にすることなくもう一度地面を叩く。――ちくしょう、馬鹿にしやがって!
 そう思いはしたものの、まさか今の立場からカクに反論できるはずもない。その行動はまさに反論といって差し支えなかったが、言葉に出さないだけスパンダムはまだ理性的だった。カクもそれが分かっているのか――あるいは『負けたことに腹を立てている部下の図』に見えなくもなかったのか――その態度を叱責することなく踵を返した。
 それと入れ違いになる形で、別の男がスパンダムに近寄ってくる。かつん、と訓練場に響く革靴の音に、スパンダムは身を固くした。

「CP0に所属している以上、相応の武力は求められるものだ。我々は天竜人の盾なのだから。それともなんだ、肉壁にでもなりたいのか? 確かにお似合いだとは思うが、おすすめはしないな」
「うぐッ……い、いやまあ、ね? これから! これから少しずつ強くなっていきますんで、へへへ……」

 少し離れたところで手合わせを見ていた男――ロブ・ルッチに対して、スパンダムは媚びた声を絞り出す。かつて己が抹殺指令を出した対象は、今やかつての上司を見下ろし見下し、それが許される存在となっていた。
 スパンダムの言葉に、ルッチの足が止まる。

「『これから』? ――『少しずつ』?」

 ――あ、やべ、これ地雷か?
 スパンダムが逃げようとする間もなく、その体は壁へと叩きつけられる。軋む骨の音を聞くのも今日で何度目か。これで手加減しているというのだから、やはりこの男は化け物だ。

「何を悠長なことを言ってやがる」
「あぐッ……く、くび、苦しッ……」

 壁と己の腕との間にスパンダムの首を挟み込む形で、ルッチはスパンダムを壁に押しつけ続ける。その身長差から、スパンダムの体が僅かに地面から浮いた。当然、彼の体の支えはルッチにより壁に押し付けられている首に集中するわけで、息苦しいことこのうえない。

「いつ世界がひっくり返るとも分からねェこの時代に……よくもまあそんな体たらくでCP0にいようと思うもんだ」
「うッ……ぐ……ご、ごもっともで……ッ!」
 
 それでも受け答えができる程度に気道は確保されている。殺しのプロは殺さないプロでもあるということだ。……己が身で体験したくはなかったが。
 ルッチはまだなにか言いたそうではあったが、スパンダムがルッチの言葉を肯定したために続く言葉を無くしたらしい。――馬鹿め、いつもおれがお前の思い描く反抗手段をとると思うなよ! でもとりあえずこの腕外してください!
 その思いが届いたのかいないのか、ルッチはふんと鼻を鳴らしてスパンダムの首を押さえていた腕を外した。突然肺に送り込まれた空気に、スパンダムは噎せて咳き込む。

「ゲホッ……! うッ、……あー! 死ぬかと思ったッ! ゴホッ!」
「…………」

 ひゅうひゅうと喉を鳴らしながらも懸命に息を整えようとするスパンダムの姿に、ルッチは殊更大きな舌打ちをした。

「弱ェ」

 吐き捨てられたその言葉に、スパンダムの額に青筋が立つ。――だったらなんでおれを殺さねェ。お前の力なら、その権力なら許されるだろう!
 そう思ってもスパンダムは言わなかった。死にたいわけではないからだ。むしろ生きたい、そのためにプライドをかなぐり捨ててルッチに媚びを売っているのだから。
 なんの気まぐれかこの男はスパンダムを生かし、あろうことか己の部下として働かせている。敵に捕まればなんだかんだ言って助けにも来る。もれなく指銃のように鋭い嫌味が剃のようなスピードでスパンダムに襲いかかってくるわけだが、とにかくルッチは文句を言いながらもスパンダムを側に置くし、何かあれば助けにも来るのだ。いったい何がしたいのか。
 スパンダムにはまったくもって分からない状況だが、殺すつもりがないというなら好都合。それを利用しない手はない。どんな気まぐれが生じてルッチがスパンダムを生かしているのかは知らないが、それを口にしてしまえば、その気まぐれが終わりかねない。
 だからスパンダムは媚びへつらい笑うのだ。この気まぐれが続く限り、己の生は確約されているも同然だ。生きてさえいれば下克上とて為せるだろう、それを政府高官として何度でも見てきたのだから!

「どうするつもりだ? これから」
「ごほッ……え、ええーと……」

 とはいえ、ルッチの言う通りこのままでは死にかねないこともまた事実。護身術を身につけたはいいものの、カクとの手合わせでそれら全てが無駄だと分かった今、新たに身を守る術を身につけなければならない。

「えー、あー……そ、そうだ、カク! カクに教えてもらいます!」
「……ほう?」
「……い、如何でしょう……?」

 スパンダムはそっとカクの方を見てお伺いを立てた。カクに教えてもらうとはいっても、当然スパンダムの一存では決められない。カクが断ればそれで話はおしまいである。
 スパンダムの視線を受けたカクは、少しだけ悩む素振りをみせた。そしてその視線をルッチへと向ける。

「わしは構わんが……さて、どうするルッチ?」
「…………」
「……あの、ダンナ……が、頑張りますんで……」

 スパンダムはそろーっとルッチの方に目をやった。そしてすぐさま逸らして俯いた。なんということはない、その形相が悪魔も裸足で逃げ出すようなものだったからだ。――なんでそんなに怒ってるんですかね!?
 沈黙が続く。スパンダムはビクビクと震えながらルッチの言葉を待った。何も言わずに見下ろしてくる男の表情は、俯いているスパンダムには見えない。見たいとも思わない。だって怖い。さっき怖かった。
 だが、ルッチはなんだかんだ言って要求を呑むだろうとスパンダムは思っていた。スパンダムが弱かろうとドジだろうと死んでしまおうとルッチにはまったくもって関係ない話だろうが、CP0の総監としては関係のある話である。
 スパンダムは、己がちょーっとばかし人よりもドジである自覚があった。そのドジで足を滑らせ天竜人に激突しそうになったことも、実は一度や二度ではない。天竜人の命令で彼らの命を守ろうとしたときに、命を守るどころか危険に晒しかねないこともあった。全て秘密裏にルッチが補助したので事なきを得たが、このままでは怒り狂った天竜人に殺されかねない。そしてその牙はいつか、総監であるルッチにも向けられるだろう。ルッチとしてもそれは避けたい事態のはずである。
 だからスパンダムが自主的に強くなろうとするのであれば、そしてルッチも強さを認めているカクが指導するというのであれば、ルッチには拒否する理由がない。
 そう考えての提案だった。指導者にカクを選んだのは、CP9にともに在籍していた過去があるのと、なんだかんだ言いながら、CP0に入ってからも普通に話してくれる相手だからだ。
 ルッチは恐ろしい雰囲気を醸し出しながらも何も言わない。それを見てカクは大きなため息をついている。そして永遠にも思える数分の後、ついにルッチが口を開いた。

「おれが鍛えてやる」
「ははは、頑張りま――……へ?」

 ――なにか、とんでもない言葉を聞いた気がする。
 てっきり『カクの手を煩わせやがって』だのなんだのと思いきり嫌味を言われながらも許可されるとばかり思っていたスパンダムは、素っ頓狂な声を上げる。どうか聞き間違いでありますようにと、彼はおそるおそる問い返した。

「え、あの、ダンナ? 今のはどういう――」
「おれが直々に鍛えてやろう。本当はお前の言う通り、カクに任せるつもりだったが……どうやら、性根から鍛え直してやる必要があるみたいだからな」

 さっきのカクへの態度――ありゃなんだ?
 そう言って見下ろすルッチの目は、狩りを楽しむ猛獣のようであった。それも、久しぶりに獲物にありつくことができた獣のそれである。――【殺戮兵器】と呼ばれるお前に鍛えられて、道力9のおれが無事で済むとでも……?

「強くなれば生存確率も上がるだろう。お前にとっては願ったり叶ったりじゃないか?」
「そ、そうですねェ〜、はははは……」

 ――いや、その前に死ぬだろ!
 などと言えるはずもなく、スパンダムは乾いた笑いを浮かべるほかなかった。死なないために鍛えるなかで死ぬなど、本末転倒もいいところだ。
 しかしそれを断ることのできる立場にスパンダムはなく、ただ笑って引き受ける以外に道などない。……あ、これ死んだわ、おれ。

「返事は?」
「はッ、はァい! 謹んでお受けいたします!」

 勢いよく敬礼をするスパンダムを、ルッチは鼻で笑う。ついてこい、と言って背を向けるその姿に、スパンダムは絶望した。――今からか? 今からなのか? 休憩とかないのか? さっきカクと手合わせしたばかりなんだぞ!

「何してる」
「行きます行きます! 行かせていただきまァす!」

 立ち止まり、壁際で立ち尽くしているスパンダムの方を振り向いたルッチの顔は、それはそれは恐ろしいもので。今すぐ来なければ殺すと書いてある顔を向けないでほしいものだ。
 ひっ、と喉を引き攣らせながらも痛む体をなんとか動かし、スパンダムはルッチに駆け寄った。悲しいかな、文句を言いたくても今のスパンダムはルッチに逆らえないのである。――スパンダムは、絶対に生き延びていつかまたこいつをこき使ってやる、と強く心に誓った。

「ちなみに、その……もし、訓練についていけなかったらどうなるんで?」
「死ぬ」
「アッ、ハイ」
「死ぬ」
「二度、二度も言わなくていいんで……」

 ――やっぱり無理かもしれない。スパンダムの誓いは、早々にへし折れそうだった。


強くあれ。せめて、死なない程度には。