神と御使い、
 平和の象徴

「もし。……君がよければ、その鳩に触らせてもらってもいいだろうか。――あまり近くで鳥を見ることがないものだから、気になってしまって」

 そっと、囁くような声でミョスガルド聖が言う。その表情はルッチの顔を窺うもので、しかし決して無理強いをするつもりはないという強い意思の籠った瞳をしていた。
 彼が鳥を近くで見たことがないのは、おそらくは側近たちが野生の鳥を追い払っているからなのだろう。もしも空に飛び立った鳥たちが天竜人の服に糞でも落としていこうものなら、そこが村であれ町であれ国であれ、消されかねない。彼らは天竜人に従うが、決して“下々民”の犠牲を良しと思っているわけではないのだ。減らせるものなら減らしたい、犠牲にならずに済む道があるならそれをとる。――それでも、救えない命は多い。
 ミョスガルド聖の噂はルッチの耳にも届いている。ドンキホーテの名に“相応しい”奇人であると。奴隷を一人として持たぬこの稀有な天竜人は、その地位にありながらも下々民に寄り添おうとする。その権力を自身のためではなく、誰かのために使おうとする。彼の言葉に、行動に、守られた役人は多い。――直近だと、ドジをやらかしたスパンダムがミョスガルド聖に守られていた。これではどちらが護衛をしているのか分からないだろうと、護衛任務終了後にスパンダムを壁に追い詰めたのはここだけの話である。

 他の天竜人に『鳩を差し出せ』と命令されたなら、ルッチは渡さずに済むように画策していただろう。汚れているので綺麗にしてきます、等と嘯いて別の鳩に入れ替えるくらいのことはしたはずだ。――天竜人に、この利口な鳩は似合わない。
 だがルッチの目の前にいるのは、かのドンキホーテ・ミョスガルド聖である。――“奇人”の瞳に、嘘偽りは見えなかった。

「――お望みとあらば」

 そう言って、ルッチはハットリに目配せをする。その意図を汲み取ったハットリは、キュッと険しい顔をして深く頷き、ミョスガルド聖にその体を向けた。勝手に肩に乗ることはしない、許可なく天竜人の体に触れることは許されないのだと、子供どころか鳩だって分かっていた。

「……ありがとう」

 ミョスガルド聖は、ルッチの肩からハットリを動かそうとはしなかった。その白い羽にそっと手を伸ばし、羽を毛羽立たせないようにその流れに沿ってゆっくりと撫でる。

「どうかな、……えっと、この鳩に名前は?」
「ハットリ、と呼んでおります」
「ハットリ。……ふふふ、鳩で鳥だからハットリなのだろうか」

 どうかなハットリ君、嫌じゃないかな。
 ハットリの表情を窺いながらよしよしと撫でるミョスガルド聖は楽しげだった。撫で方が気持ちよかったのか、ハットリはくるくると喉を鳴らす。その鳴き声が演技ではないことにルッチは気付いていた。どうやらミョスガルド聖は、なかなかのテクニシャンらしい。

「この子とはいつから一緒に?」
「幼少の頃から共におります」
「そうか、だからこんなに人懐っこいんだな」

 ハットリが喜びの鳴き声をあげることが嬉しかったのか、ミョスガルド聖は人差し指でちょいちょいとハットリの頭に触れた。ハットリはまたくるくると鳴いて、ミョスガルド聖の人差し指に頭を擦り寄せる。

「可愛いね、子供の頃はもっと可愛かったんじゃないかい」
「それはもう、言い表せないほどに」
「そうかそうか。愛されているね、ハットリ君」

 ミョスガルド聖の言葉に、ハットリは嬉しそうに鳴いた。ここまでくるとハットリも、ミョスガルド聖がただの天竜人ではないと察したようである。おそるおそるといった風ではあったものの、時折ハットリの方からミョスガルド聖に触れるようになった。その様子に、ミョスガルド聖もまた、嬉しそうに笑った。

「触れさせてくれてありがとう」

 ハットリと目を合わせながらミョスガルド聖が言う。それに対して、ハットリは優雅に一礼をした。ミョスガルド聖も、小さく会釈を返した。

「ハットリ君について、他の天竜人は何か言っていたかな」
「鳩を連れていることについて、でしょうか」
「それもあるし、その……」
「?」
「この鳩を欲しいと言われたり……とかは……あったかな?」
「…………」
「もしもそういったことがあったなら言ってくれ、何としてでも守ってみせるから」

 ぐっ、と右の拳を強く握りしめてミョスガルド聖は言う。――彼は天竜人でありながら下々民に手を差し伸べようとし、時には天竜人を金棒でぶん殴る男である。ハットリが他の天竜人に奪われそうになったなら、ルッチの目の前で天竜人による天竜人殴打事件が起きてしまうかもしれない。
 なお、その渦中にいるのは何の変哲もないただの鳩である。……護衛の連れている鳩を巡って殴り合う(あるいは一方的に殴られる)天竜人達。脳裏を過ぎった予想図に、ルッチはわずかにその口角を緩めた。――目の前で巻き起こるであろう事件に対して、なァ、真相があまりにも似つかわしくないじゃないか?

「――お気遣いありがとうございます」

 その表情を隠すべく、ルッチとハットリは深く礼をする。……彼らの真正面に立っていたミョスガルド聖にはその表情も見えていたはずだが、彼がそれを咎めることはなかった。
 ルッチが頭を下げた、その頭上から聞こえてくる、屈託のない、小さな小さな笑い声がその答えだった。


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